日本で大地震が発生し、それに伴う津波が間をおかず押し寄せ、そこから引き起こされた原発事故が拡大していく過程で、年初以来、アラブ世界の政治変動に大部分の時間を割いていたBBC、アル=ジャジーラ、CNNなどの国際ニュース・テレビ局の関心が、一転して日本に集中した。3月11日から1週間は、ほぼ常に日本の状況がトップニュースだった。2週間が経過した現在も、日本の状況はトップ3に入り、克明に伝えられている。ほかの2つはリビアとイエメンの情勢であり、さらに、シリアで勃発した反政府抗議運動や、エジプトの民主化の過程が詳細に報じられている。中東の激動はいよいよ拡散し、加速している。日本の状況はあたかもそれらリビアやイエメンといった大混乱の危険地帯と同列であるかのように、国際メディア報道上では取り扱われている。

カイロより

 日本のメディアは震災と原発事故報道一色となり、日本語のテレビや新聞・雑誌を通じて世界のニュースを知ることは極めて困難だろう。しかしアラブ政治で進展している大変動は、少しでも目を離していると取り残されてしまうほどの速さと深さである。かつてなら1年、あるいは10年かけて生じたような変化が、1日、あるいは数時間で生じてきている。国際衛星テレビ局の画面で常に新たな臨時ニュースのアラートが点灯している状態である。
 ここで現れている、新しい情報メディアを駆使した、新しい形の大衆政治は、中東にとどまらず、中国などの政治発展にも長期的には影響を与えるかもしれない。さらに、欧米や日本などの政治にも何らかのインスピレーションをもたらすだろう。少なくとも、欧米が主導する国際政治の形を変えつつあることは確かである。だからこそ、アラビア語圏だけでなく、英語圏の国際メディアも、放送時間や紙面を大幅に割いて伝えているのである。
 筆者は、ちょうど3月11日から、カイロで現地調査を始めていた。東京の機能が低下する現在、一時的に日本の職場の研究室の機能をカイロに移転し、現地での情報収集と発信に重点を置いてみようと考えている。そのための基盤構築をほぼ終えたところだ。これは東京一極集中、日本国内での自己完結がもたらすリスクの増大、そして専門性・技術水準の低下という事態を長期的に避けるためにも、有効な手段と考えている。
 フォーサイトのウェブ情報誌としての役割も改めて真価が問われるところだ。被災地に位置する製紙工場の被害や、インクの調達状況などによっては、日本では今後、雑誌や新聞の刊行にも支障をきたすかもしれない。今回の震災が日本にとって第2次世界大戦以来最大の惨禍であるという人口に膾炙した形容が正しいならば、焼け跡に低紙質のカストリ雑誌が溢れる光景もまた、第2次世界大戦後の時代を再現するのだろうか。そのような事態は避けたいものだ。むしろ前向きに受け止め、日本の出版業界が立ち遅れてきたウェブ化をここで推進していく奇貨としなければならない。
 被災地の掲示板に張られた夥しい張り紙に見られるように、紙のメディアとしての力は大きく、紙媒体でしか達成できないことはある。本当に紙でなければならないものだけを紙媒体で出版し、それ以外はウェブに移行するような、思い切った経営判断が求められる。日本の出版業界は従来のやり方と組織にこだわり、インターネットや電子媒体を敵視しすぎてきた。そのためウェブに必要なリソースを割いてこなかった。日本の出版・メディア産業は、ウェブ展開と国際展開に関して、世界標準から極端に立ち遅れ、発展途上国以下の水準である。既存の業界の論理を優先して、国全体の情報収集・発信力の向上を阻害してきた。その弱点が今露呈している。
 本来ならとっくに行なっていなければならなかった経営判断を、自然災害に直面しなければ踏み切れないというのは好ましいことではないが、それでもなお、転換がなされないよりはましである。戦中の灯火管制、物資供出の時代のように、割り当ての紙をケチるか、どこを削るか、どこからヤミで仕入れてくるか、という作業に妙な専門性を発揮してもらっては、長期的には有害だ。そうなれば日本全体の文化程度が落ち、本当の衰退が待っているだけだ。
 当面カイロを拠点に情報発信をする上で、筆者は引き続きこのフォーサイトを重視している。1月14日のチュニジアのベンアリー政権崩壊以来、3月上旬までの2カ月間で8本の分析を寄稿してきた。これは紙媒体の月刊誌であれば、当然に不可能な刊行ペースであった。分量も制約がないウェブ媒体の特性を生かし、他の雑誌・新聞に寄稿したものとは異なる水準の内容を盛り込むよう努めてきた。
 前回の寄稿【リンク】以来、日本の研究室・所属機関の被害状況の把握と、急遽決断に踏み切ったカイロでの基盤構築に忙殺され、3週間ほど間が開いてしまったが、再びこのフォーサイトを主要な発表の場として、アラブ政治の変動の過程を伝えていきたい。

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