危機の蓋然性評価

執筆者:2011年4月13日

   日本政府は、福島の原発事故への対応に際して、2つの「痛い」失敗を犯した。

 1つは、想定外の出来事が連続する中で、放射能危機の蓋然性とその拡がりを考慮せず、目の前にある事象への対処に忙殺されたことである。政府は、事態を見通すにあたって、楽観的な解決から悲観的な混乱まで、その蓋然性に幅を持たせて示すことはなかった。人々は、その時々における安全と不安全とのどちらかを知らされたにすぎない。そのため、国民は、事態がいつどのように変化するか、それに伴って退避行動などの特別な対応が必要になるかについて、予見し備えることができなくなっていた。人は、最悪のシナリオを知らされると、パニックに陥ることがあると、政府は懸念したに違いない。そうであっても、日本国民の賢明な分別を信じ、蓋然性の幅を示すことが、個人個人が持つ自己決定権に基づく判断の手助けとなると考える。

 他の1つは、危機管理能力が示せなかったことである。危機管理に関して、日本には相当な強みがある。危機に直面しても、統制が利き、また礼節を失わない国民。危機的状態に対して活用し得るさまざまな技術や高度技術に裏づけされた機材。また、危機的事態の鎮静化に献身的な努力を惜しまない当事者の意識など、特筆する点は多い。これらに加え、日米同盟に基づく米国の「ともだち」意識。日本が国際社会で積み上げた貢献に対する感謝。そして、原子力先進国で起きた原発問題を国際社会にとって共通の危機であると捉えて協力する諸外国の力は、国際関係の中で生じる強みである。政府がこれらの強みを十分に活用したようには見えない。

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