食料基地「東北農業」の構造転換を

執筆者:山下一仁2011年4月18日

 東日本大震災は、食料の重要性を改めてわれわれに教えてくれた。被災地では物流が途絶し、食料品自体が手に入らない状態となった。被災地から遠く離れた東京でも、多くの消費者は食料を買い占めに走った。他の物資と異なり、食料は、人間の生命・身体の維持に不可欠なものなので、わずかな不足でも、人々はパニックになる。
 経済力がある日本で生じる食料危機とは、お金があっても、物流が途絶して食料が手に入らないという事態である。今回これは震災で生じた。最も重大なケースは、日本周辺で軍事的な紛争が生じてシーレーンが破壊され、海外から食料を積んだ船が日本に寄港しようとしても近づけないという事態である。世界全体では食料生産能力が十分あったとしても、こうした事態は生じる。これに対処するためには、一定量の備蓄と国内の食料生産能力を確保しておかなければならない。そのためにも、今回被害に遭った東北地方の農業復興が必要である。

稲作農家は「毎年1年生」

 今回の震災では、量だけではなく、安全性についても問題が生じた。原子力発電所の事故から発生した放射能の影響により、原乳や野菜が出荷制限されたり、米の作付が禁止されたり、汚染水の流出で水産業にも大きな被害が生じている。地震と津波という天災だけでも大変なのに、原子力発電所のずさんな危機管理体制による人災が重なった。被害を受けた農家や漁家の方の憤怒の心情は察するに余りある。
 日本人は“水と安全はタダだ”と思っているという言葉がある。今回の震災や原子力発電所の事故に対しては、「専門家」と言われる人たちから「想定外」という言葉が頻繁に発せられた。しかし、日本が戦争に巻き込まれることが可能性としては少ないからといって、防衛力を持つ必要がないという人は少ないだろう。発生の可能性としては低くても、生じたときには国民の生命そのものに危害が及ぶほど被害が重大なものであれば、それを「想定外」としてはならない。物理や工学系の科学者は発生する蓋然性が低ければ、想定外としてしまうのかもしれない。しかし、経済学でいう期待値あるいはリスクとは、ある現象が発生する蓋然性に、それが発生した場合の利益や被害の大きさを乗じたものである。蓋然性が小さくても期待値が大きい場合もあるし、蓋然性が大きくても期待値が小さい場合もある。
 宮城県のある農業者は、「稲作に“毎年1年生”という言葉があります。自然相手の百姓は、常に想定外の世界に生きているのだという気持ちで仕事しています」と、私に怒りの言葉を書き送ってきた。この心構えが、専門家の人たちには欠けていたようである。津波が想定され、しかも海に面した場所で、大きな堤防もなく原子力発電所が設置されている姿は、理解し難いものがある。
 いずれにしても、原子力発電所の事故から生じた問題については、生産者に対する十分な補償を行なうとともに、政府も総力を挙げて放射能汚染をできる限り早く封じ込めるような、迅速な対応を行なうしか途はない。

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