「独裁官」になれなかった菅首相

執筆者:2011年4月26日

 菅首相の政治生命は、東日本地震と津波、そして原発事故とが長らえさせた。総理大臣が交代するための時間が無くなった。

 菅首相は、「千年に一度」と言われる大災害の危機を管理すべき独裁官の立場にある。国難を乗り越えるために「命がけでこの仕事にとりくむ」ことは当然である。しかし、市民政治家を標榜する本人に、独裁官を引き受ける覚悟があったとは思われない。

 古代共和制ローマ帝国では、外敵の侵入、疫病の流行、政治的混乱など、国家の非常事態発生時に、独裁官が任命された。非常事態対処にあたり、権力分散は非効率であり、ただ一人の独裁官に強大な権力を与えた。非常時には拙速を尊び、「小田原評定」や「船頭多くして船山に登る」ことを避ける仕組みであった。

 部下の意見を聴き、根回しをしつつ民主的に事を進めるのは平時であるが、危機発生の非常事態に臨んでは、首相や首長、あるいは会社社長など、組織の長は、独裁官となる必要があろう。

 その独裁官は、自ら状況判断し、決断を下さなければならない。「皆さんの意見を広くお聞きして」と言っている場合ではない。衆知を集めるときではなく、衆力にたのむときである。

 もちろん、専門的事象については、適任者に委任する必要がある。古代ローマの独裁官は、主力の歩兵を自ら指揮したが、専門技能を要する騎兵の指揮は、騎兵長官に委ねた。同様に、第2次大戦における英国首相チャーチルは、自身士官学校出身ではあったが、軍の指揮運用については、アランブルック参謀総長に任せた。専門的補佐役は、責任と力が分散しない程度に、少数精鋭な方が良い。その環境を整え、全般にわたる状況判断を行い、自ら大方針を定めることで、最終責任を一人で担うのが独裁官である。

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