いま、日本に対する国際社会の眼は、東日本大地震による被災と、原発の安全神話の崩壊とに向き合う国民の意志の強さに注がれており、国力が如何ほどのものかが試されている。それに対して、政治の主導力が顕示され、また危機対処に臨む国民の決意が誇示され、揺るぎのない「復興へ向かう時代精神」の確立となって応えることが必要である。

 国家の安全保障は、必ずしも軍事力の直接の行使によって維持されるものではなく、あらゆる要素からなる国力の総和が作り上げるものである。国家はどのようにして国力を整えてきたかについて、史実に基づきシリーズ検証することで、現代の安全保障のあり方の一隅を照らしたいと思う。

 初回は、東大寺大仏開眼法要をとりあげる。その場に臨んだ諸外国使節の吃驚が再現されるような今後の日本であることを期待している。

 8世紀の半ば、752年(天平勝宝4年)4月9日、奈良東大寺大仏毘盧遮那仏の開眼法要が営まれた。大唐帝国をはじめ、その影響下にあった各国の使節が法要に招かれ、東シナ海を渡って、あるいは朝鮮半島から対馬海峡を渡って来訪した姿を想像するに難くない。

 使節一行は、遣唐使の逆路をたどり、今でいう瀬戸内海から当時の難波津(なにわつ)を経由し住吉津(すみのえつ)に到着するや、大和川に沿って進み、佐保川と名前が変わる奈良西の京に入ったとされる。薬師寺は、平城京に上り天皇に拝謁するために、旅装を改める位置にあった。

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