出現した「Gゼロ」という機能不全の世界

執筆者:花田吉隆2011年7月26日
ギリシャへの第2次支援策は決まったが……(C)EPA=時事
ギリシャへの第2次支援策は決まったが……(C)EPA=時事

 世界は金融危機を挟んで様変わりしてしまった。  金融危機の本質をどう見るか。単なるリセッションでも金融システムの大激震でもない。恐らく後世、歴史家はこの金融危機を振り返り、時代を画する分水嶺と見るに違いない。  筆者は金融危機が勃発した時ドイツに在住していた。  米国の住宅市場を不安視する見方は金融危機前から多々あった。しかしヨーロッパはそれを米国の問題と見ていた。よもやヨーロッパが激震に襲われるかもしれないなどと見る向きは皆無だった。08年夏、欧州中銀のトリシェ総裁と懇談する機会を持ったが、その時トリシェ総裁が、ユーロ発足後の歩みを振り返り、しみじみと述べた言葉が印象的だった。曰く、「10年前、誰がこれほどのユーロの発展を予想しただろうか。当時、ユーロを巡っては制度的に欠陥があるとの見方も強かった。その行く先を危ぶむ声もそこかしこに聞かれたものだ。然るに10年経ち、ユーロは不動の地位を築いた。今や押しも押されもしない第2の基軸通貨だ。この間のユーロの歩みを振り返る時、自分は深い感慨に襲われざるを得ない」。

リーマンショックの衝撃

 リーマンショックがヨーロッパを襲ったのはそれから暫くしてからのことだ。
 それは欧州にとっても激震だったが、しかし、基本的には米国の問題というのが少なくとも危機勃発当初の見方だった。当時欧州中銀の集まりに出た筆者に対し、欧州中銀関係者は、米国が欧州の金融システムも見直さなければならないとうるさく言ってくる、自分の足下をまず正すべきだろうに、といって苦笑していたことを思い出す。むしろ、この頃ユーロは我が世の春だった。金融危機に襲われた欧州の中小国はこぞってユーロ参加を求め始めた。寄らば大樹の陰だ。ある欧州中銀理事は筆者に、これでユーロは益々強化されていく、とユーロの更なる発展を確信しつつ述べた。その頃、ユーロがギリシャ危機に襲われ、解体の可能性さえ噂されることになろうとは誰も考えもしなかった。
 やがてドイツも金融機関の流動性危機に見舞われることになるが、何より金融危機は輸出大国の日独に大きな影響を及ぼすことが分かる。当時、ドイツ銀行のチーフエコノミストは、「長いこと経済を見てきたが、統計数値がこれほどの勢いで急落するのを見たことがない」と、唖然とした表情で筆者に語った。日本の工業製品発注の急落が報道されだしたのは、それから2-3週間経ってからのことだった。
 その後世界は急遽結束し、各国財政の総動員により落ち込んだ世界需要の下支えに乗り出す。その甲斐あって、一時は奈落の底にまで落ちるかと思われた世界経済は奇跡的に持ち直し、09年は終わってみればV字回復となった。しかしその回復のスピードが先進国と新興国とで大きな差があることが判明、金融危機後の世界は世界経済の2極化という形で幕を開けた。
 新興国の台頭については金融危機前から始まっていた。従って、金融危機は世界経済の大きなうねりを後押ししただけとも言える。その後押しが決定的だったのだ。
 ことは単に躍進めざましい新興国と停滞に苛まれる先進国と見るだけでは不十分だ。そこにはより大きな構造変化が潜んでいる。では、金融危機後の世界をどう見るべきか。

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