李登輝というアクター

執筆者:野嶋剛2011年8月18日

 台湾の総統選挙が来年1月14日に迫っている。台湾では通常なら総統選挙は3月に行なわれるが、今回は、国民党の選挙戦略から前倒しで1月になり、立法院(国会に相当)とのダブル選挙となった。
 台湾は4年に1度、熱くなる。その熱さは半端ではない。島全体が「瘋狂(おかしくなってしまう)」の様相を呈する。台湾では個人も組織も選挙から逃れられず、ブルー(国民党のカラー)かグリーン(民進党のカラー)かの踏み絵を迫られる。先進国では異例の高投票率で、毎回70-80%に達する。前回は特派員として現地で取材した。今回私は日本にいるが、月に1度のペースで台湾を訪れ、台湾選挙を追跡してみたい。

8月5日、台北市内のホテルで講演する台湾の李登輝元総統 (C)時事
8月5日、台北市内のホテルで講演する台湾の李登輝元総統 (C)時事

 台湾では選挙の度に李登輝元総統(88)の動向が注目される。 「もう昔ほどの影響力はないよ」と言う人も多いが、結局最後は与党も野党もメディアも一般庶民も、1923年生まれの政治家の動向から目を離せなくなる。選挙のたびに李登輝はゾンビのように甦り、台湾政界を闊歩し始める。 「台湾のモーゼ」などと持ち上げる向きもあるが、現在の台湾では毀誉褒貶、愛憎がからみあった存在だ。総統として民主化を推進し、台湾を世界的に注目される存在に押し上げた功績は誰も否定できない。だが、退任後も政争のなかに身を置き、「国父」の地位を失った。李登輝にはそんな名誉より、自分が育てた台湾という作品を他人に壊されることが我慢ならず、現実政治に口を挟んでしまう。  就任当初の陳水扁や馬英九に対し、李登輝も最初は支援の姿勢を見せたが、結局は袂を分かった。それぞれ理由はあるが、根底にあるのは「自分をなぜもっと尊重しないのか」という不満であろう。しかし、過去の指導者にいつまでも口を挟まれることを、普通の指導者は嫌がるものである。

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