アンナ・ハザレ氏は英雄かポピュリストか

執筆者:山田剛2011年8月28日

 インドの著名な社会活動家アンナ・ハザレ氏(74)が、より厳格かつ実効性のある「汚職防止法」の制定を求めて12日間にわたって続けていたハンガーストライキが28日午前、政府側が要求の多くを受け入れたことを受けて中止された。このハザレ氏、今春から同様の主張を掲げてしばしばハンストを決行。その手法や愛国主義的な行動は「現在のマハトマ・ガンジー」などと賞賛されており、日本のメディアもハザレ氏の行動をかなり前向きに評価してきた。
ハザレ氏とその支持者らは「チーム・アンナ」と名付けられ、彼らの呼びかけた抗議デモには学生や都市インテリ層など多数が参集。社会派の人気俳優アーミル・カーンや「ムトゥ―踊るマハラジャ」で知られるタミル映画界のスター・ラジニカント、そして財界人までもがハザレ氏の行動を支援。さらには総選挙二連敗中の最大野党インド人民党(BJP)幹部らもここぞとばかりにブームに乗って政権批判を強めた。断食を中心手段とする一連の抗議行動はインドの新たな社会現象となった感もある。
しかし、どうも違和感がぬぐえず、断食の様子を刻一刻と伝える現地テレビの動画を釈然としない気分で見ていたのだが、インド人の中にも同じ考えの人はいるようだ。
2G携帯電話ライセンスを巡る汚職で閣僚2人が相次ぎ辞任。自らも批判の対象となったマンモハン・シン首相はハザレ氏に対し「自身の要求を国会に押し付けるために選んだ方法(断食)は間違ったものであり、議会制民主主義に重大な悪影響を及ぼしかねない」と述べ、温和なシン氏にしては異例の強い調子での批判を展開した。
ノーベル賞受賞者アマルティア・セン博士と並ぶインド学術界の長老・アンドレ・ベテーユ・デリー大名誉教授(社会学)もハザレ氏の抗議行動について「脆弱なインドをさらに不安定化しかねない」と懸念を表明。「インド市民社会の声とは認められない」と断じ、断食による要求貫徹は民主主義の枠組みを超えた権利の乱用であるとの見解を示した。
高級紙「ザ・ヒンドゥー」のバラダラジャン編集長もハザレ氏の行動に疑問を示し、抗議行動をセンセーショナルにあおるテレビメディアに対し「バランスと客観性を持って報道すべきだ」と苦言を呈している。
断食といえば、徒手空拳かつ非暴力で反英独立闘争を戦った独立の父マハトマ・ガンジーが思い出されるが、彼の曾孫でマハトマ・ガンジー基金理事長のトゥシャール・ガンジー氏は8月中旬、「私の曾祖父が行った断食は敵を友人に変えるためのものだったが、ハザレ氏の断食は敵と戦うためのものだ」と指摘。汚職防止運動の象徴となったハザレ氏の行動には「ポピュリズムの臭いがする」と厳しく批判した。たびたび投獄され、唯一の闘争手段が「断食」(強いて言えば世論も)だったガンジー翁とは比べるべくもない、ということだろうか。
もちろん、汚職は撲滅すべきものであり、抗議行動の目指すものの正当性は疑いない。脛に傷持つ議員や閣僚、官僚らを多数抱える政府の側も歯切れが悪く、対応が後手に回っているのは否定できない。市民運動に大きな意義を見出す方々からはお叱りもあるだろうが、今回の騒動は、民主主義のプロセスをすっ飛ばして「断食」で物事が決まってしまうというインド政治の未熟さを改めて露呈したとはいえないだろうか。

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