野田新総理の『政権構想』を改めて読んでみた。
基本理念として掲げられているのが「和=中庸」だ。
早速、30日の党役員人事でも、この精神を発揮。幹事長には輿石東氏を起用し、小沢グループとの宥和姿勢を鮮明にした。
 
『政権構想』の文面上も、「和=中庸」の精神はあちこちに垣間見られる。
例えば、
●「大連立」志向を明らかにする一方で、『政権構想』では、「今こそ、マニフェストを含め政権交代の原点に立ち戻る時」とも記載。マニフェスト見直しに批判的な勢力に配慮する姿勢も示した。
 
●また、強い「増税」志向も疑いないが、『政権構想』の文面では、「税金の無駄遣いを徹底的に排除・・・その上で歳入面の改革」とも記載。国会議員の数削減、行政刷新などに積極的に取り組むことも明記した。
 
こうしたバランス感覚は、党内のさまざまな勢力を宥和するためには欠かせないのかもしれないが、下手をすれば、「みんなによい顔をして、方針が不明確なまま」ということにもなりかねない。
それでは、政策の成果は出せない。
 
あいまいな状態での「和=中庸」でなく、「これまでのズレをどう解消するか」を明確にする「和=中庸」を目指してもらいたいと思う。
 
そのため、まず明らかにしてほしいのは、政権交代前の主張との「ズレ」をどう捉えるかだ。
野田氏のかつての著書『民主の敵』(2009年7月)を読むと、現在の主張とはかけ離れている。
 
例えば、
●「(天下り法人に支出されている)12兆6000億円のほとんどが、天下り法人が役所から受注した仕事の代金として支払われたもので、そのほとんどが随意契約です。
・・・12兆6000億円のすべてがムダではないかもしれません。それでも精査すれば、かなりのムダを洗い出せる」(86・87ページ)
 
●「(こうした天下り法人などへの不透明な支出の)からくりを暴き出さなければ、財政出動が出来るのか、財政規律しなければいけないのか、その判断すらできない」、「財政出動か財政規律かという前に、財政の完全透明化をしなければならない」(97ページ)。
 
●「このまま今のからくりが残ってしまったら、三年後に消費税を引き上げたとしても、砂漠に水を撒くのと同じです。だから、よく『財源を示せ』という指摘がありますが、消費税は何%が適切かといった議論は、日本の財政を完全情報公開したうえでの話・・・。
・・・消費税率アップを安易に認めてしまうと、そこで思考停止し、今のからくりの解明はストップしてしまう」(109ページ)。
 
といった具合だ。
 
もちろん、2年前と現在では、状況が変わっている点もあるし、政権に入ってみて認識が変わった点もあるだろう。「かつての主張から変節した」ということだけを捉えて揚げ足取りをすることが本意ではない。
 
しかし、政権交代前のマニフェストのうち、どこを見直すべきと認識し、どう見直すつもりなのかは、政権運営の出発点として、最低限、明確にしておくべき事柄だ。
 
それを欠いたまま、あるときは「三党合意を尊重してマニフェストを見直し」、別のときは「政権交代の原点に立ち戻る」「マニフェストの理念は守る」といっていても、不毛な神学論争に時間を費やすことになってしまうからだ。
 
例えば、「ムダ削減」に関しては、政権交代前に主張していた「12兆6000億円のうちかなりの部分がムダ」は事実上撤回しているのだろうが、もしそうなら、現時点では、どの程度の金額のムダ削減を目標と考えるのか。どの程度のムダ削減を前提に、『政権構想』で「まずムダ削減。その上で歳入改革」と言っているのか。
また、そのために、どういう手法をとるのか。『政権構想』では「仕分けの継続・強化」が特記されているが、すでに事業仕分けの限界(事業仕分けで廃止とされながら事業復活など)が指摘されている中で、どう実効性を高めていくつもりなのか。
 
組閣後は、こうした「政策目標」と「方法論」を、あいまいにすることなく、ひとつずつ明確にしていってもらいたいと思う。
 
(原 英史)

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