ジョブズの死と「アメリカの秋」

執筆者:会田弘継2011年10月20日

 欧州ではユーロ危機がますます深刻化、ユーロ圏17カ国の南北対立の様相を強め、ギリシャはデフォルト(債務不履行)不可避との見方が続いている。米国の失業率は依然9%を超えたまま。9月半ばニューヨーク・ウォール街に始まった反格差デモは全米に、さらに世界に、広がり始めた。欧州が南北対立なら、アメリカでは民主・共和2大政党対立による政治麻痺で、オバマ政権は身動きがとれない。
 そんな中で、IT企業アップルを一代で築きあげたカリスマ経営者スティーブ・ジョブズが、10月5日に亡くなった。56歳。ガレージで起業したアップルは一時、時価総額で世界最高となった。世界がジョブズの死を惜しんだのは、今日の世界が失った「夢」をジョブズの生き方に見たからか。ジョブズという稀代の起業家を生み出したのは、ウォール街で始まった反格差デモに通じる1960-70年代の反体制文化(カウンターカルチャー)だった。その死は、現代アメリカについての思索を促さずにはおかない。

スティーブ・ジョブズと家族の運命

 凄まじい人生だった。最も象徴的にそれを伝えたのは、10月10日付の米ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の記事「ジョブズの実父に再会なく」だ。【For Jobs’s Biological Father, the Reunion Never Came, The Wall Street Journal, Oct. 10】第1面で、ジョブズの顔写真と、目元、鼻筋がそっくりの老人の顔写真が黒枠の中に並ぶ。老人は、ジョブズが死ぬまで会うことのなかった実父、アブドルファタハ・ジャンダリ氏(80歳)だ。
 ジョブズは、シリアからウィスコンシン大学の政治学博士課程に学びに来ていたイスラム教徒のジャンダリ氏と、やはり同大学院生だった女性との間に生まれた。だが女性の家族は結婚を許さず、養子に出される。養父のポール・ジョブズ氏は高校中退の機械工。スティーブ・ジョブズは大学に進学するがドロップアウトして、天才的技術者スティーブ・ウォズニアックとともにアップルを創業する。あとは知られた通りの波乱に満ちた起業家人生だ。
 米国で大学教員を務めた実父ジャンダリ氏は、今はネバダ州リノ郊外のカジノで総支配人として働く。養子に出した自分の息子がスティーブ・ジョブズだと知ったのは6年ほど前。親しい人にも打ち明けなかった。ジョブズが癌に罹ったのを知り、見舞いのメールを送った。だが、2人は会うことなく、ジョブズは逝った。
 WSJ紙のジャンダリ氏とのインタビューはカジノの中華食堂で行なわれた。アメリカに生き、成功するとは何なのか――。「いつかは死ぬんだと思い出す。失うものがあると思う罠にはまるのを避けるには、それが一番。みんな無一物さ」と語っていたジョブズの、どこか虚無感を漂わせた生き方の背景が分かる記事だ。
「ニューヨーク・タイムズ」のコラムニスト、モーリン・ダウドは、このWSJ紙の記事を踏まえ、さらにジャンダリ氏の娘(ジョブズの実の妹)で作家となったモナ・シンプソンさんやジョブズの子どもたちの物語も絡めエッセーを書いている。【Prospero’s Tempestuous Family, The New York Times, Oct.11】シェークスピアでさえ驚くような家族の運命のドラマがそこにあると、ダウドはいう。さらに、「タイム」誌が掲載した伝記作家ウォルター・アイザックソンのエッセー「アメリカの偶像」を読むと、死を予感して伝記執筆を依頼したジョブズを観察した作家の目を通じ、矛盾に満ちた天才起業家の姿が見えてくる。 【American Icon, TIME, Oct. 17】

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