この1年の世界の動きを見渡してみて、2011年という年を特徴づける最大の出来事は何であったのか。
 ユーロ圏の動揺、サプライチェーン・マネジメントの遮断に直結した3.11東日本大震災とタイの大洪水、米国でのQEⅡ(金融の量的緩和の第2弾)の不成功とオバマ政権の急失速などは、間違いなくグローバル・レベルで論じられなければならない事柄だ。しかし、それ以前からの認識を根底から断ち切った新事態という視点に立つならば、アラブの春の到来とその巨大なる余波こそがその最右翼と私は判断している。
 背景にあったのがSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)という1人ひとりを繋ぎ、かつ結びつけていくグローバルなプラットフォームの急浸透であった。「1人ひとり」は、簡単な端末機器によって、仮想空間を通じた接近が可能になったのだ。ジャンヌ・ダルクやローザ・ルクセンブルクのようなビッグ・ネームは必要なかった。少し前の組織論にあえて似せるならば、「憂慮する有識者達(コンサーンド・スカラーズ)」の呼びかけとでもいえるのだろうか。

SNSの普遍性

今年2月、ムバラク大統領辞任から一夜明けたエジプト・カイロのタハリール広場 (C)AFP=時事
今年2月、ムバラク大統領辞任から一夜明けたエジプト・カイロのタハリール広場 (C)AFP=時事

 結果は驚くべきもので、チュニジア、エジプト、リビアでは腐敗した専制的支配者が相次いで倒された。こうした国名のあとに、シリア、イエメンなどが続いても誰も驚きはしないだろう。アラブ社会が全体として大きな変動に巻き込まれたことは確かだ。性差による差別の厳しさ、初等教育の普及度の低さ、貧富の巨大な格差は、東アジアや中南米諸国と比較しても、さらに歪みの程度が大きいものであった。こうした指摘も多く寄せられるところから、UNDP(国連開発計画)は、人間開発指数づくりに取り組んできた。アラブ社会の知識人の一部もUNDPに協力して、課題の抽出作業を行なってきた。  今回のアラブの春は、こうした旧来の手法を一挙に吹き飛ばすほどの衝撃で、アラブの体制派の土台を打ち据えた。しかし、この衝撃が及ぶ先はアラブにとどまらないのではないか。アラブ社会よりは随分堅牢と思われている地域権力にも余波は及び始めているというのが私の見解だ。ここではイランと中国とイスラエルの3カ国をとりあげてみる。いずれもそれぞれの政治体制が転機を迎えている状況にあり、体制にとっては掴みとりにくいSNSというプラットフォームが次々と構築されるなか、認識の根底のところで大いなる戸惑いを示しているように思われるからだ(表「建国モデルの揺らぎ」参照)。  そしてこの3カ国は、20世紀の半ばから後半にかけて、それぞれに地域秩序を巡って主役としての関与をしてきた。それぞれの国家モデルは、一般的な記述には馴染まないほどの、独特の歴史性を帯びている。だが、SNSの普遍性は、そうした個別性をも呑み込んでしまう可能性さえある。今後の展開次第では、こうした動きは世界的な秩序の骨格にも決定的な影響を及ぼすものと思われる。

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