アメリカ人にとっても、またイギリス人にとっても、「ウィンストン・チャーチル」の名前は偉大な戦争の勝利と直結しており、また「ファシズム」と「デモクラシー」の戦いにおいて後者に栄光をもたらした英雄として語られている。日本においてもチャーチルは、多くの政治家によって最も尊敬する指導者として語られる。また、リーダーシップの欠如が問われるときに、繰り返しその存在が想起される。
 しかしながら、30年以上も前に河合秀和著『チャーチル』が中公新書から刊行されてからというもの、新たな信頼できるチャーチル伝が書かれていない。それにはいくつかの理由があるのだろうが、おそらく最も大きな理由はあまりにも多くの優れた評伝が英語で書かれていることであろう。チャーチルの人生に魅了され、新しい評伝を書きたいと願う者が、ひるみ戸惑うのも無理はない。

『危機の指導者 チャーチル』
冨田浩司著
新潮選書
『危機の指導者 チャーチル』 冨田浩司著 新潮選書

 30年以上ぶりに新しいチャーチル伝を日本語で執筆したのは、現役の職業外交官で対米交渉において多忙な日々を送る「日曜研究家」であった。チャーチルを愛する著者にとって、本書『危機の指導者 チャーチル』(冨田浩司著)はオックスフォード大学留学時代以来、「二十数年越しのプロジェクト」であった。東日本大震災や福島第一原発事故という未曾有の危機に日本が直面する中で、著者は「こうした現実にどう向き合うべきかという思いが強く胸に迫った」という。そして、「危機に立ち向かうチャーチルの姿を描くことで、読者にいくばくかの勇気を与えることができれば望外の幸せである」という。確かに、本書で縦横無尽に行動するチャーチルは勇気に溢れている。そして多くの困難に直面する中で、楽観主義をしばしば示してきた。そのようなチャーチルを描く上で、本書は時系列的な評伝ではなく、チャーチルにおける「政治観」、「夫婦愛」、「軍事戦略」、「歴史観」などのテーマに焦点を当てて各章が描かれる。1人の著者が多角的にチャーチルの顔を描くのは、新しい手法ともいえる。デイヴィッド・ダットンがイギリスの政治家アンソニー・イーデンの伝記を書く際に、同様の手法をとっている。

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