ミャンマーは第2のベトナムになるか

執筆者:森山伸五2011年12月20日
米国務長官としては1955年以来の訪問となったクリントン氏(右はテインセイン大統領)(c)AFP=時事
米国務長官としては1955年以来の訪問となったクリントン氏(右はテインセイン大統領)(c)AFP=時事

 強権的な軍事政権が中国を後ろ盾に非民主的で鎖国さながらの体制を取ってきたミャンマーが、大転換に踏み切った。軍政が、民主化運動のリーダーで、自ら軟禁状態に置いてきたアウン・サン・スー・チー氏との対話に踏み切り、同氏は議会補欠選挙に出馬することが決まった。今後の国内情勢によっては軍政が流れを後戻りさせる可能性がないとはいえないが、「改革開放」に動き出した動機をみれば、不可逆的な動きとみていい。東アジアと南アジアを結ぶ要衝に、5300万人の人口と豊富な資源を抱えた国家が忽然と出現したことがアジアの地政学、経済地図に与えるインパクトは大きい。  12月1日、クリントン米国務長官はミャンマーの首都ネピドーで、テインセイン大統領と初めての会談を行ない、その夜にはヤンゴンで、アウン・サン・スー・チー氏と夕食をともにした。米国が手厳しく批判し、民主化を求める国際社会から経済制裁を受けてきた国家の大転換は、この1日の動きによってミャンマー国民と国際社会に強く印象付けられた。これに先だって東南アジア諸国連合(ASEAN)は11月の首脳会議で、ミャンマーが2014年に輪番制の議長国に就任することを承認している。ASEANの「厄介者国家」はようやくASEANの一員として認められることになった。08年に巨大サイクロンに国土を直撃され、14万人もの犠牲者を出しながらも国際社会からの支援を当初拒んだ国家とはまるで別物だ。何が、ミャンマーをして、これほど劇的な変化に向かわせたのか?

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