シロアリ発言と「知事の教育目標設定」

執筆者:原英史2012年1月29日

 

 27日の国会での代表質問で、野田総理が「橋下知事(注:市長の間違い)にシロアリがたからないことを祈る」と発言したことが、ちょっとした話題になっている。
 これは、渡辺喜美議員(みんなの党)の質問に対しての答弁だが、前段にあったのは、
・野田総理のかつてのシロアリ発言(天下り根絶など)はどうなったのか、
・また、大阪府・市で議論中の「知事の教育目標設定」を定めた教育基本条例は違法か、
という2つの質問だ。
 
 2つ目の質問は、一自治体の条例案について代表質問で議論されるという、異例のこと。だが、これは、教育行政制度のあり方論につながる、本質的な論点でもある。
 
 論点の背景を説明しておくと、もともと、教育分野の行政事務は、知事(ないし市町村長)と教育委員会で分担することになっていて、多くの部分は教育委員会の事務と定められている(地方教育行政組織法)。知事と教育委員会は、指揮命令関係にはなくて、教育委員会は独立した存在だ。
 これを根拠に、「知事や市町村長は、教育に一切口出ししてはならない」かのような理解がなされることもある。
 だが、個々の事務管理は別として、基本的な目標設定は知事がやってもよいのでないか、というのが大阪でなされている問題提起だ。
 
 私は、年末から府市統合本部の特別顧問を務めており、実はこの議論には直接関わっている立場だが、1月25日の本部会合では、以下の意見を述べた。
・全国の知事選や市町村長選挙で、多くの候補者は、「地域の教育をこうしたい」という目標を公約に掲げている。文部科学省は「知事の教育目標設定が違法」と言っているようだが、もし政府として本気でそういうなら、違法な公約を取り締まるのが筋。
・また、知事や市町村長の実務として、教育予算を含めて、予算の査定・編成を行う。教育分野の予算で、「これはつける」「これは削る」ということをやる以上、教育目標を持たずしてできるとは考えられない。
・以上より、「知事の教育目標設定が違法」という法解釈は常識的とは考えられない。
 
 27日の代表質問では、野田総理と平野文科大臣がこの点を問われ、基本的に知事の教育目標設定は許されないとの答弁をした。
残念ながら、私が「常識的ではない」と主張した内容だったわけだが、この問題は、さらに国会でも議論を続けてほしいと思う。
 
 法律の条文解釈以上に、しっかり議論してほしいのは、教育と民主主義の関係だ。
 
 この話では、すぐ「政治家が教育に口を出すと、偏向した教育がなされるおそれがある(例えば、軍国教育がなされかねない)」という主張が出てくる。
 たしかに、おかしな政治家が出てくる危険性は、全く否定はできないかもしれない。
だが、それでは、教育委員会に任せておけば、おかしな人が出てくる危険性は皆無か?
 
また、教育委員会制度が、現状で十分に機能していると言えるか? 教育委員会には非常勤で地域の識者らが参加するが、実際には、官僚機構の主導になりがち。結局、文部科学省→都道府県教育委員会→市町村教育委員会という官僚機構の中で、閉鎖的な教育行政がなされ、教育の劣化を招いている可能性はないか?
 
 偏向した教育を排除するために、「政治家が教育目標さえ定められない」とする必要が本当にあるのか? 首長が教育委員会と協議する、さらに議会がチェックするといった、通常の民主主義のコントロールではいけないのか?
 
「政治家に関与させると、おかしなことをやる危険性があるから、官僚任せにした方がいい」という考え方は、教育分野に限らず、そろそろ見直してみてもよいのでないか。
 
(原 英史)

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