「団派」の事なかれ主義と「太子党」の危うさ

執筆者:田中直毅2012年2月13日
昨年12月、タイを訪問した習近平氏 (C)AFP=時事
昨年12月、タイを訪問した習近平氏 (C)AFP=時事

 中国共産党の骨格にPeter Principle(ピーターの法則)が宿っているという指摘は新鮮だった。  今秋の第18回共産党大会に向けて、党や国務院の幹部人事についての噂が絶えない。共産主義青年団の出身者は「団派」と呼ばれ、中央と地方の党の組織の中核を担ってきた。こうした直近の歴史を背景に、9人の政治局常務委員を含む25人の共産党中央政治局員のうち、団派は圧倒的な比重を占めるはずと聞かされてきた。中国革命の成立時において高級幹部を構成した人脈に繋がるいわゆる「太子党」から、習近平が総書記に選ばれることはほぼ確実だが、団派を無視したのでは党組織が成り立つはずはないという認識である。  すでに省や特別市の党書記の人事は次々と決まっており、その中には、今秋のトップ層を構成する習近平をはじめとする第5世代のあとを受けて、第6世代と呼ばれる次々期の指導者が団派を代表して配置されている。中国共産党の人材育成システムが完成型を示している――。われわれはこうした説明を受けてきたし、これに疑念を提示するだけの材料もなかった。

ケガをしないように……

 ところが、世界的な激動が生ずる中、高度経済成長を続けてきた中国内部に巨大な構造変容が押し寄せているにもかかわらず、2回前の2002年の第16回党大会で選出された胡錦濤総書記の第4世代は指導力を十分に発揮しなかった、という批判が広がっているらしい。そしてその原因は、そもそも団派には「事なかれ主義」が定着している、という認定に落ち着きそうだというのだ。
 peter outという動詞的表現は、結局無きに至るという意味で使われる。「ピーターの法則」と大文字で表現されるときは、人が無能の地位に祭り上げられる過程を指す。組織の中で選抜を繰り返す過程とは、無能力者を段階ごとに排除する仕組みのことで、生き残ったトップとは最後に排除される無能力者に過ぎない、という、過酷な現実に対する皮肉な表現である。巨大化した管理組織で、倒産の危機から無縁なところにおいてはびこる登用システムを指すものだが、今回の訪中ではこの表現が団派に対して向けられていることを知った。
 胡錦濤も、そして今秋首相になる可能性が高いとされる李克強副首相もいずれも団派の出身だが、彼らは内心において、常に「生き残ること」を最重要視している、という分析である。ケガをしないようにせねば連続的な選抜戦は闘い抜けない、というのが彼らの行動規範だろうというわけだ。そして、団派の指導者は上に行けば行くほど自らを無害化しがちだ、という観察眼をもつ人が、中国の知識人の中で増えているのだ。peter outという表現そのものの進行だ。

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