「大風車」にペン一本で挑んだ竹山道雄の凄み

執筆者:佐瀬昌盛2012年2月24日
『昭和の精神史』
竹山道雄著
中公クラシックス 2011年刊
『昭和の精神史』 竹山道雄著 中公クラシックス 2011年刊

 竹山道雄氏の『昭和の精神史』については忘れ難いいきさつがある。私はそれを雑誌『心』に連載されていた『十年の後に――あれは何だったのだろう』として読んだ。昭和29年4月に東大(文科Ⅰ類)に入学、井の頭線東大前駅を降りて大学とは反対側に坂を下ると確か成美堂という名の本屋があった。懐は乏しかったが、そこで毎月『心』を買った。定価80円。当時は生成会という同人組織が発行所となり、平凡社が発売所だった。『心』の中心にいたのは旧制一高校長もやった安倍能成であり、後年にはオールド・リベラリスト・グループなどと呼ばれたが、私はそこに旧制高校の匂いをかぎつけていた。明治に「士族の商法」で零落したわが家には大学教育の香りが皆無だったので、それが逆バネで私は旧制高校、大学という行程に憬がれた。そして『心』に出合った。  その『心』にやがて竹山連載が登場した。が、正直言うと読んでも理解できないところが少くなかった。当時の高校、大学前期の歴史教育は昭和の戦争や東京裁判なんかまるで扱わなかったので、竹山氏の書く広田弘毅の演じた役割なぞ初耳で、「ふーん」といった感じだった。それにつけても残念なのは、40歳までの私は引っ越しにつぐ引っ越しの人生、当時読んだ『心』をいつの間にか処分してしまったことだ。  臍曲りだった私は文Ⅰから法学部または経済学部という常識的コースに乗らず、教養学科に進んだ。その動機の1つが「竹山先生の時間に出たい」だった。竹山氏は東大教授をとっくに辞していたけれども、非常勤講師として「外国書講読」を担当していた。私はそれを選択、今は亡き親友のTと実質的に2人っきりの受講者として至福の時を過した。その経緯は後年、『竹山道雄著作集』第5巻の月報に「昭和三十年代初期の駒場における竹山道雄先生」と題して書いた。

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