植樹から100周年を迎えたワシントンの桜(c)AFP=時事
植樹から100周年を迎えたワシントンの桜(c)AFP=時事

 米国の首都ワシントンのポトマック河畔の桜が今年100周年を迎えた。1912年、日本から3000本の桜の苗木が寄贈、植樹され、日米友好親善の象徴となってきた。今年は3月末から1カ月間、ポトマック河畔を中心に、全米で例年以上に盛大に桜祭りが繰り広げられる。  米国向けはその先駆けといってもいいだろうが、「友好親善に」「日本の思い出に」「国交回復〇〇周年の記念に」と、桜の海外植樹は衰えを知らない。贈る側も政府、地方自治体、各種団体、個人寄贈などさまざまだ。「わが国にもぜひ」と外国側から求めてくることもある。  桜ほど外国に通じやすい日本のイメージはない。美しい四季と風土、日本人の生き方、平和愛好国家……。こうしたさまざまな日本のイメージを桜が象徴する。「桜を贈る」というと企業や関連団体のスポンサーも付きやすい。“桜外交”は日本の専売特許である。

実は難しい桜の植樹

“桜外交”を支える倉島素直氏(筆者撮影)
“桜外交”を支える倉島素直氏(筆者撮影)

 その“桜外交”の請負人というべき第一人者が造園家の倉島素直氏(49)だ。9年ほど前から桜の海外植樹にかかわってきた。すでに植樹したところから相談も寄せられる。実はこれまで桜の植樹の成功率は高くない。枯死せず、花を咲かせるようになるには、土壌造りや植樹後のケアが大切で、寄贈で終わりではない。  例えばロサンゼルス市内のリトル東京には10年前、桜の木200本が植えられた。「弱っているから見てほしい」と言われて行ってみると、根がコンクリートと砂利で覆われていた。また、こちらも同氏がかかわったものではないが、ベトナムのホーチミン市では桜が全滅した。最近、ニューヨーク市ハドソン河畔のクレアモント公園の桜の調子が悪いから見てくれと言われている。これから調査するが、他の木々の陰になっているのではないかと想像している。  3年半前、倉島氏はエチオピアの首都アディスアベバの大統領官邸脇の公園に、両国政府のプロジェクトで12本の桜の植樹を頼まれた。4カ月が雨期、8カ月が乾期という土地。公園には今上天皇が皇太子の時、エチオピアを訪問して記念植樹したソメイヨシノがあるが、花を咲かせない。  同氏が調べると土壌が養分過多だった。そこで土を3メートル掘り下げ、底に砂利と砂を敷き、さらに本来の土に別の土を混ぜて養分を落とした。桜もソメイヨシノではなく、根が地中深く下りるヤマザクラを選んだ。また桜は水を多く必要とするため、そのための井戸も掘った。いまでは毎年、見事な花を咲かせている。  ほぼ同時期に始まり、日本政府もかかわったイスラエルとパレスチナの「平和友好のための桜プロジェクト」では、乾燥した土漠(どばく)に果たして桜が根付くか見るため、エルサレム大学の圃場(ほじょう)に300本の桜を植えた。土の塩分を薄めるために、火力発電所から出る硫黄を混ぜ込んで土壌も作った。桜は花を咲かせ、候補地のベツレヘムにいつでも移植できる体制が整った。しかし現地ではパレスチナ問題をめぐる衝突が続き、日本政府の渡航注意の勧告もあってまだ実現できない。  いま倉島氏は米国、中国、フランスへの桜の寄贈計画にかかわっている。このうちフランスでは、1889年のパリ万博で日本館のあったエッフェル塔近くに植樹する予定だ。

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