大飯原発の再稼働を巡る議論は、いまだ行方が見えない。
迷走を続ける国に対し、大阪の橋下徹市長と松井一郎知事は、大阪府市エネルギー戦略会議の検討を経て、「8提言」を決定。4月24日、官邸で官房長官に直接申し入れるに至った(4月24日「原発の安全性に対する提案」)。
ほかにも、京都府・山田啓二知事と滋賀県・嘉田由紀子知事は連名で「7提言」を提出(4月17日「国民的理解のための原発政策への提言」)。
関西広域連合でも「6提言」が打ち出されている(4月26日、関西広域連合委員会資料より)。
 
 これらの提言で、共通して根幹となっているのは、
・信頼できる規制機関を設け、そのもとで、信頼できる安全規制を行うべきこと、
・電力需給について、納得のいく検証を行うべきこと、
などだ。
 
 大阪府・市の「8提言」にも書かれているように、現行の規制機関、すなわち原子力安全・保安院と原子力安全委員会は、いわば「A級戦犯」。これまで機能不十分だったことは明らかだ。これらが引き続き安全性チェックを担っている状態では、信頼性を欠くのは当然だ。
 
 こうした議論を受け、民主党内からも、「原子力規制庁の発足を待つべき」といった議論が出てきた。政府の責任者である枝野経済産業大臣も、「大飯以外の再稼働は、原子力規制庁の発足を待つべきでないか」と会見で発言している。
 
 ここでいう「原子力規制庁」とは、政府が国会に法案提出済みの新組織案。当初は4月1日からの移行を目指していたが、いまだ審議入りできていない。
 
 だが、法案をさっさと成立させ、「原子力規制庁」にすればよいのか・・というと、事はそう簡単ではない。
 
そもそも、従来の規制機関には、どんな欠陥があったのか?
3.11以降に露呈した問題は、整理すれば、以下の3つだ。
 
第1に、「規制役と推進役の混在」。
「規制役」の主力を担う原子力安全・保安院が、「推進役」の資源エネルギー庁や産業所管部局と同じ、経済産業省におかれていた。
 
第2に、「政治からの独立性の欠如」。
安全性の判断は、本来、専門技術的判断の領域だが、これと政治の峻別が不明確になっていた。このため、専門家の判断すべき事柄に、菅・前総理が口を出すような事態も生じた。
 
第3に、以上とも絡むが、「本当の専門家の欠如」。
例えば、原子力安全・保安院のトップは、どう見ても専門家とは呼べない人が務めてきた。その下の職員も役所の人事ローテーションの中で、専門性を欠く人が多くを占める。
 
こうした問題に対し、政府の「原子力規制庁」法案は、どう対処しているのか。
第1の問題では、規制機関を経済産業省から切り離し、環境省に移すことで、いちおうの対処はしている。ただ、問題は実質だ。形だけ切り離しても、実際には、経産省と密に人事交流するようなことになれば、事実上は“経済産業省下の原子力規制庁”になりかねない。
これまでの国会審議などで明らかにされたところでは、組織間の人の行き来を禁ずる「ノーリターンルール」がいちおう設けられるというが、適用は、ごく一部の幹部に限られるようだ。これでは、実質運用面には大いに不安が残る。
 
一方、第2の「政治からの独立性」の問題には、何ら対処できていない。
政府は、「政治家ではない規制庁長官に規制権限を委ねる」と言っているが、長官の人事権は環境大臣と官邸が握る。これでは、政治介入の可能性を全く排除できない。例えばの話、原発推進の政権ができれば、政治的な意向で安全規制が歪められかねない。
 
 第3の「専門家の不在」の問題にも、制度上の対処はできていない。前述のとおり、「ノーリターンルール」が限定的とすれば、相変わらず、人事ローテーションの一環で素人が着任することになりかねない。
 
 こうして見れば、看板だけ「原子力規制庁」と名前を変えても、何ら問題解決にはなりそうにない。
 
 政府案に対抗し、自民・公明両党が「原子力規制委員会」法案をまとめている。
 こちらは、
・内閣から独立した委員会(公正取引委員会などと同様の、いわゆる三条委員会)として、「政治からの独立性」を確保、
・法律上「ノーリターンルール」を明確に定めることで、「規制役と推進役の明分」を裏打ちし、「専門家の不在」問題も解消を目指す内容だ。
 
 自公案が百点満点かどうかはともかく、両案の優劣は明らかだと思う。
 もともとの問題に立ち返り、国会でまともな議論がなされることを期待したい。
 
(原 英史)

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