アフリカ、サミット、企業の時代

執筆者:白戸圭一2012年5月25日

 企業がサハラ以南アフリカの開発の主役に躍り出た21世紀。 アフリカへの企業進出の話を耳にすると時折、思い出す光景がある。

 筆者の祖父母は4人とも、北海道のある旧産炭地の街で生涯を終えた。北海道では明治から昭和初期にかけて、当時の財閥が相次いで採炭を開始し、全国から人が集まった。祖父母たちもその中におり、2人の祖父は坑内で働いた。

 第2次大戦下で出炭量は急増し、炭鉱の街は活気づいた。坑道入口は深い山中にあったが、石炭会社は山中に鉄道を敷設し、学校や病院を建て、従業員には「炭住」と呼ばれる社宅を供給した。今から60年以上前、企業の社会的責任を意味するCSRという言葉が誕生する遥か以前のことである。農村の家々の大半が藁ぶき屋根だった終戦直後、北海道の山奥には鉄筋コンクリート建築の高層アパートがあり、映画館やカフェがあった。企業が持てる力の全てを注ぎ込んだ炭鉱の街は、さまざまな意味で時代の先端を行っていたと言えるかもしれない。

  1950年代半ば時点で市の総人口は9万人を超え、炭鉱地区だけで3万人以上が暮らしていた。だが、高度成長期の閉山で、住民の多くが全国に散った。学校は相次いで閉校し、病院が廃院になり、商店は次々と廃業した。まだ若かった筆者の両親は街を離れ、東京へ出て、筆者が生まれた。

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