南シナ海のスカボロー礁(中国名で黄岩島)海域で中国側とにらみ合い状態にあったフィリピン艦船は、6月17日、台風接近を理由にアキノ大統領から出された撤収命令を受け、同海域を離れたと報じられる。だが、事態が根本的に収拾したわけではない。南シナ海ほぼ全域を自らの領海と主張して憚らない中国の高圧的態度に対し、不快感を隠さない周辺関係各国という図式が解消されることは、当分の間はないだろう。

 ところで中国に対し俄かに強硬姿勢に転じた感のあるアキノ大統領だが、どうやら強硬姿勢一辺倒というわけでもなく硬軟両方の姿勢をみせる。「硬」がスカボロー礁への艦船出動なら、さしずめ「軟」は歴代大統領の手法から学習した、華人企業家人脈を介在させた対中関係の打開への模索だろう。

 これまでその役割を担ってきた代表的な人物が、大統領の母親のコラソン・アキノ大統領時代にフィリピンの駐中国大使を務めたアルフォンソ・T・ユーチェンコだ。彼は楊応琳という華字名を持ち、父親が興した代表的華人財閥のユーチェンコ家の2代目としてマニラに生まれた。保険、銀行、投資、消費者金融、建設、木材、エネルギー、石油、不動産、薬品、木材、サービスなどのビジネスを展開する一方、中国大使を退任後もラモス大統領の訪中に同行。以後、APEC(アジア太平洋経済協力会議)担当大統領補佐(エストラーダ政権)、訪中特使(アロヨ政権)を務めるなど、対中関係を軸にフィリピン外交に関与してきた。いわばフィリピン政財界に強い影響力を持つ外交官で華人企業家という存在である。付け加えるなら、彼は第2次大戦前にアメリカ留学し、コロンビア大学のMBA(経営学修士)を取得している。

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