見つかった「最古の戸籍史料」と天武天皇
2012年7月25日
福岡県太宰府市の国分(こくぶ)松本遺跡から見つかった7世紀末の木簡は、考古学上の大発見となった。それが、国内最古の戸籍史料だったからだ。
最初の戸籍を作ることは、想像以上に困難な作業だったはずだ。戸籍は、統治システムを入れ替えるために必要だったからだ。多くの血が流され、政権も入れ替わっている。極論すれば、大化の改新(645)や壬申の乱(672)の原因も、戸籍をめぐる争いだったのである。
これまでに見つかった最古の戸籍史料は、東大寺正倉院に伝わった西暦702年のものだった。これは、本格的な律令制度、大宝律令(701)が導入された直後のものだ。これに対し今回見つかった木簡は、「嶋評(しまのこおり)」や「進大弐(しんだいに)」の記述から、西暦685-701年の間に作られたことがわかった。「評」は行政単位で、西暦701年に呼び名が「郡」に変更された。もうひとつの「進大弐」は冠位で、西暦685年から使われ始めたものだからだ。
そこで注目されたのが、庚寅年籍(こういんねんじゃく)だ。持統3年(689)、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が発布され、その翌年の庚寅の年に、戸籍が作られた。これが庚寅年籍で、以後6年ごとに、戸籍を作り直す作業が始まった。そして、今回発見された木簡は、庚寅年籍をもとに、異動の実態を把握し書き留めたものだったのである。
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