ラトビア「金融危機克服」は本物か

執筆者:木村正人2012年9月26日

[リガ発]2008年の世界金融危機後、緊縮財政や賃金カットで競争力を回復させ、昨年と今年前半、5%台半ばの経済成長を取り戻したバルト三国の1つ、ラトビアの首都・リガを訪ねた。債務危機に苦しむ欧州連合(EU)の優等生と称賛され、国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事も「財政危機国はラトビアから学ぶべきだ」と持ち上げた。しかし、実際には若者を中心に人口の1割に当たる約20万人が国外に脱出。債務危機を乗り切った「成功例」という評価は微妙なところだ。ソ連に占領され、約8万人がシベリアに送られた歴史の悪夢を飲み込んで、ラトビアは対ロシア・ビジネスに国家再生の活路を見出そうとしていた。

昨年からの力強い回復

 昨年5月に著書『ラトビアはいかに金融危機を克服したか』を出版したバルディス・ドムブロフスキス首相(41)は9月21日、日本企業の視察団を前に経済再生を示す数値を列挙し、「世界銀行の投資環境調査でラトビアはドイツ、日本に次ぐ21位にランクされた」と胸を張ってみせた。
 昨年の国内総生産(GDP)成長率は5.47%、今年上半期も前年同期比5.6%を記録した。ギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリアといった南欧諸国がマイナス成長に陥る中、ラトビアはEU加盟27カ国中、最も力強い回復を達成した。
 1991年、ソ連から独立したラトビアは99年にバルト三国で初めて世界貿易機関(WTO)に加盟、04年に北大西洋条約機構(NATO)とEUに加盟したが、ユーロへの参加は2011年に導入した隣国エストニアに先を越された。
 ラトビアにとりユーロは最終ゴール。欧州と一体化し、NATOを通じて米国と同盟を結ぶことが戦闘機や戦車を持たないラトビアの究極ともいえる対ロシア安全保障政策だ。
 欧州単一通貨ユーロに未加盟のラトビアは4年前の世界金融危機に直撃された。翌09年にはGDP成長率がマイナス17.95%となり、経済規模がピーク時の4分の3に縮小した。危機を乗り切るため、ラトビア政府はEUやIMFから総額75億ユーロ(約7500億円)を借り入れることで合意した。
 輸出競争力を回復させるため、自国通貨ラトを切り下げるのが第1の選択肢。対ユーロの為替レートを固定して緊縮財政と賃金カットを実行するのが第2の選択肢。前者は痛みを伴わないが、後者は猛烈な痛みを伴う。
 金融危機発生時、ラトビアでは外貨建てで住宅ローンを組む個人や融資を受けていた企業が多く、通貨切り下げは「自殺行為」になりかねない恐れがあった。
 また、景気回復のカンフル剤となる外国資本を呼び戻すには通貨の安定が絶対条件。ラトビア政府が選んだのは緊縮財政と賃金カットという苦難の道だった。

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