我が国離島の主権を巡って、近隣である中国および韓国との関係が、それぞれ荒(すさ)んでいる。中と韓が意識を共有し同調する気配があり、米が距離を置く姿勢をちらつかせている以上、日本は、孤軍奮闘を強いられる。かつてなく厳しく、また悩ましい安全保障環境の中に置かれているのであるが、2012年9月27日の国連における日中両国の演説で、気になるやり取りがあった。

 野田首相は、国際社会における「法の支配」の強化を訴え、直面する領土問題の解決に、国際法に則る日本の主権を敷衍(ふえん)し強調した。これに対して、中国の楊外相は、戦後の「秩序」に対する日本の挑戦と言い、日本の言動が国際社会の安定や「秩序」を混乱させるものとした。この2つを国際社会の第三者が見る限り、日本が「事の解決を難しくしている」と受け取られる可能性は大きい。楊外相が「日本は尖閣を盗んだ」と発言したのは、まことに品格を疑う腹立たしい言い分である。しかし、この腹立たしさに気をとられ、日本が「秩序」を混乱させているという文脈に気付かない状態に陥っている人は少なくないだろう。

 野田首相は、中国より先に演説できる機会を利用し、「秩序」と「国際法」との下において問題の解決を図ると言うべきであった。そうすれば、野田首相の演説に、「秩序」に対する挑戦を繰り返す中国という文脈が加えられ、日本が国際世論を味方につける追い風を得られた筈である。ところが、「法の支配」というインフラによって「秩序」が築かれるとした演説の論理を逆手に取った中国が、「秩序」こそ、国際社会の求める大切なものであり、日本は「法の支配」を楯に、秩序への挑戦を正当化していると主張する戦術に出た。

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