村上春樹ではなく、莫言がノーベル賞を取った。

会社の仕事でいわゆる「予定稿」をたくさん準備して村上受賞に備えていただけに、選考委員会の「モーイェン」という英語を耳にした途端、職場には何とも言えない空気が流れた。

アジア人の受賞だから本来はニュース価値は日本でも高いはずなのに・・・。そして、日本人が莫言の受賞にあまり喜べない理由の一つには、尖閣諸島をめぐる昨今の日中関係のなかで、また一つ、中国側に「してやったり」と喜ばせる材料になるという予感が心の中に走ったからではなかっただろうか。

それではいけないと思いつつ、正直なところ、私はそんな風に思ってしまった。

ところが、中国側の反応をざっと見回してみると、喜ぶには喜んでいるが、どうも手放しで狂喜している、というところは見られない。もちろんメディアや作家協会は喜びのコメントを出してはいるが、どこか形式的で、素っ気なく感じる。

ノーベル賞は中国にとって鬼門というか、仇というか、相いれない存在だった。天安門事件で中国を捨てて文学賞を取った高行健、平和賞のダライ・ラマ、そして、一昨年の劉暁波。どれも「体制外」ばかりの受賞で、そのたびに中国政府は批判・黙殺、そしてノルウェー政府への「嫌がらせ」も続け、「ノーベル賞の受賞は欧米への屈服」ということになっていた。

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