「レッド・キャピタリズム」中国との付き合い方
日本企業の経営者は、中国の反日不買運動は腰が入ったものになる、と判断せざるをえなくなった。しかし「中国リスク」の別の側面は、中国自身にとってのリスクでもある。「レッド・キャピタリズム」と呼ばれる中国の国家資本主義は、中国共産党が企業運営に直接介入することを意味する。このことが中国系企業のガバナンスの不明瞭性に繋がり、結果としてグローバル企業としての成長を妨げる機縁になることを否定できない。尖閣諸島問題が切り開きつつある中国内部での権力闘争の政治空間と、中国の「レッド・キャピタリズム」が海外の政府部門との間で引き起す問題群とは、共振するようにして中国の選択肢を不透明なベールで覆いつつある。
欧米でも「違和感」が浸透
レッド・キャピタリズムをどう扱うのかは、米国、EU、そして日本にとってすでに大きな課題となっている。2001年の中国のWTO加盟時には、「これで中国への投資資産が、突然のように接収される惧れはなくなった」という低い期待水準が満たされただけでも僥倖と受け止められたものだ。
香港からのFDI(海外直接投資)が圧倒的な比重であったが、米国やEUからも熱い視線が次第に中国に注がれた。しかし関係が深まるにつれ、中国の経済システムに対する欧米での違和感の浸透は避けられなかった。
当初はデベロップメンタル・キャピタリズム(発展途上の資本主義)という受け止め方が基本であった。それが証拠に、欧米諸国にとって不可解なことがあっても、このタイプの先輩国である日本を間に入れれば、多少は納得のゆく説明が受けられるのでは、という見解が広がったのだ。歴史的には今日の中国のように、遺制を帯びたまま近代化への道を歩もうとした日本は、時代の要請と歴史制約の間にあって、近代化命題に沿った欧米にもわかりやすい路線と、国内での遺制に引き込まれた排外的な対応の間を揺れ動いてきた。そうした道筋を近過去に体験した日本は、中国のかたくなさの説明役として適任だろう、という受け止め方である。確かに政策研究者の国際交流の場でも、こうした視角から日本人としての発言を求められることもしばしばであった。
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