開発をめぐる議論にはいくつも、まったく異質なものが含まれている。そのひとつが、ナショナリズムに依拠しているものとインターナショナリズムに依拠しているものの混在である。
 援助国側の「人類の貧困を救え」という議論は国際開発理念に基づいているからインターナショナリズムであり、一方開発途上国のなかでは、ほかの途上国よりも先んじて豊かになりたいというナショナリズムの議論になる。韓国をみるとよくわかるが、開発に成功した国の開発はナショナリズムを原動力にしていたといえる。これが、開発独裁とか「開発主義」とかいわれてきたものだ。

 だから、開発を考えるにあたってはナショナリズムについて知っておくことが重要だ。ナショナリズムを論じた名著としては、なんといってもベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が挙げられる。この本は実に興味深い問題設定から始まるのだが、そのひとつが「強烈な影響を歴史にもたらしながらナショナリズムをめぐる議論は支離滅裂であり、偉大な思想を生みださなかったのはなぜか」というものである。アンダーソンの慧眼だ。アンダーソンの答えを要約すると、ナショナリズムは常にサブカルチャーを母胎にしているからということになると思うが、現在私が煮込みはじめているアイデアは、社会心理学に材料をえている。

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