木寺中国大使は「適材」か

執筆者:野嶋剛2012年12月12日

 先週、中国大使の赴任を控えた木寺昌人氏にインタビューをした。約1時間にわたって話を聞いたが、基本的には慎重さ、手堅さが際だつ内容だった。木寺氏のペースを崩せないかと思ってあれこれ変化球の質問を投げてみたが、さすがに赴任直前とあってガードが堅く、なかなか乗ってこなかった。

 唯一、話に引き込まれたのが、木寺氏の名前の「昌」の字が、中国の都市の武昌(武漢の一部)から取ったものだということ。木寺氏の生まれた日は1952年の10月10日。10月10日は双十節と呼ばれ、辛亥革命が武昌からスタートした日だ(武昌起義)。木寺氏の父親は孫文を尊敬していたという。その父親が双十節にちなんで「昌」の字を与えた。木寺氏はフランス留学組でチャイナスクールでもなく中国勤務の経験もないが、この名前にまつわる故事来歴は、これから木寺氏と会うことになる中国人たちを喜ばせるに違いない。

 私が思うに、日本の外交官は主に3つのタイプに分かれる。

 1つは、才気走ったところがあり、国家戦略や外交戦略を常に考え、先を見据えた手を打ちたがる軍師タイプだ。小泉政権時代に北朝鮮外交を仕切った田中均氏、現在、経済担当の外務審議官職にある鶴岡公二氏などがそれにあたる。こういう人たちとインタビューすると楽しい。才気が溢れ出してきて、回答の端々に「個」の自負がうかがえるからだ。

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