「差別される人々」はいつ生まれたのか

執筆者:関裕二2012年12月26日

「差別」について、考えてみたい。

 差別される人々が、いつ、どこで、なぜ生まれたのか、はっきりしたことは分かっていない。ひとつ分かっているのは、中世の段階で私的隷属を嫌った人々が、天皇と深く結びついていたということ、そして、何者にも支配されず自由に暮らす彼らが、被差別民になっていったという事実である。

 

孝謙女帝の「奴隷解放」

 孝謙女帝が上皇時代に暮らしていた法華寺(筆者撮影)
孝謙女帝が上皇時代に暮らしていた法華寺(筆者撮影)

 各地を遍歴し漂泊する勧進、芸能民、遊女(うかれめ)、鋳物師(いもじ)、木地屋、薬売りなどの商人、工人、職人などの非農耕民は、「捕らえ所がなく、税の徴収が難しい」ことから、普通の農民(良民)たちとは区別されるようになっていった。

 遍歴する人々=被差別民の多くは、供御人(くごにん)の流れを汲んでいると信じられていた。「供御」とは、「天皇の食事」のことで、天皇家に供御を献上したり、奉仕をする人たちが供御人だ。供御人は見返りに、通行の自由、税や諸役の免除、私的隷属からの解放という特権を天皇から獲得していたのである。

 ではなぜ、頂点の天皇と最下層の差別される人々が、結びついたのだろう。

 具体的なきっかけがあったのではないか……。それが、天平宝字2年(758)7月3日のことだったと、筆者は睨んでいる。平城京(奈良市)に都が置かれた時代のことだ。

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