中国の卓球元世界王者、荘則棟が72歳で亡くなった。訃報というのは悲しい出来事ではあるが、ジャーナリズムにとっては、一人の人生から改めて多くのことを思い巡らせることができる機会という面もある。

荘則棟は前陣速攻という戦法を武器に当時世界最強だった日本卓球陣を打ち破った。卓球選手の部分以上にその人生は政治に巻き込まれた波瀾万丈のストーリーに満ち、「数奇な人生」という使い古された表現すら荘則棟の人生の前には物足りなく感じる。

1971年に日本で開かれた世界卓球選手権。試合会場を移動する中国チームのバスに、敵対する米国人選手が乗り込んできた。当時の中国は米国人と口を利いただけでスパイ扱いを受ける時代だ。凍り付くバスのなかで、周恩来の「友好第一」という言葉を思い出した荘則棟だけが米国人選手に歩み寄り、杭州産の刺繡をプレゼントした。この出会いがきっかけで米中の交流が始まり、ニクソン訪中につながった――。そんな伝説を残した。

だが、それからの荘則棟の人生の方が面白い。ピンポン外交への貢献を評価されて30代でスポーツ担当大臣に抜擢される華やかな道を歩んだが、文化大革命を主導した4人組の逮捕と同時に失脚。投獄までされ、自殺したとの情報も流れた。その間に妻子にも去られ、どん底に落ちたが、80年秋にコーチとして復活し、少年少女たちに卓球を教えた。

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