内部対立の激化が懸念される「アラファト後」

執筆者:立山良司2004年12月号

すでに目立ち始めていた対立や無法状態に火がつけば、影響は自治体制の瓦解だけにとどまらない。当面できる施策とは何か。 中東現代史だけでなく戦後の第三世界の政治を彩った「武力解放闘争」という舞台から、最後の主役とも言える一人の人物が退場した。半世紀近くに及びパレスチナ解放闘争を率いてきたPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長はパリ移送後の十一月十一日死去した。同議長が占めていた政治的な空間はあまりに大きい。とりあえず暫定的な集団指導体制が立ち上げられたが、今後の移行期に激しい権力争いが発生する恐れもある。「アラファト後」にはいかなる状況が想定できるのだろうか。 アラファトは一九五〇年代末に出稼ぎ先のクウェートで、パレスチナ・ゲリラ組織「ファタハ」を結成しイスラエルへのゲリラ攻撃を開始した。六〇年代に入るとファタハはPLO内で最大の組織に成長し、この組織力をバックに彼は六九年以来、ずっとPLO執行委員会議長の座を占めてきた。九三年にイスラエルとPLOの間でオスロ合意(暫定自治合意)が結ばれ翌九四年にパレスチナ自治政府が樹立されると、アラファトは主要なものだけでもファタハ指導者、PLO議長、さらに自治政府長官(一般には議長と訳される)と三つの顔を持った。

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