元テロリストの臨終

執筆者:徳岡孝夫2004年12月号

 パリ郊外の病院で息を引きとったヤセル・アラファトは、見方によってエエ者にもワル者にもなる男だった。しかし、ただ一つ、彼が過去にテロの頭目であった点だけは、誰も否定できないだろう。 一九八一年十月に初来日した頃の彼は、もうPFLPなどテロ・グループとは手を切っていたと思う。日本に来る直前、たしか北京あたりにいたとき、アラファトの手元にエジプトのサダト大統領暗殺の第一報が届いた。 サダトこそ、誰が見ても正真正銘のエエ者である。憎しみに彩られ血にまみれた中東の現代史の中で、彼だけは一貫して和平の建設者だった。イスラエルというユダヤ国家の存立を認め、パレスチナ国家の創設と平和共存を提唱した。アラブ指導者として初めてエルサレムに行き、イスラエル議会で演説して占領地域からの撤退を要求した。立派な識見と果敢な行動力。 だが平和より緊張を好む者は、いつの世にもいる。エジプト軍の分列行進を閲兵していたサダトは、列を離れた数人の兵士によって殺された。自動小銃で止めを刺されるシーンが、全世界に流れた。 北京でコメントを求められたアラファトはHe deserved it.(当然の報いだ)と言った。サダトの血の匂いのする時点で、そういうことが言えたのである。

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