節目の年に「日本」を考える

執筆者:2005年1月号

 二〇〇五年は節目の年だ。戦後六十年である。もう六十年かと光陰の速さに驚くか、まだ六十年かとあまりにも多くの事象に圧倒されるか、さまざまだろうが、あの敗戦から暦が一回りしたのである。人間の歳でいえば還暦だというのに、われわれはまだ「戦後」を引きずっている。きちんと戦後の総括を済ませてこなかったばかりに、いまもまだ「戦後」に追い立てられているのだ。 戦後六十年は国際連合六十年と重なる。その年に日本は国連安全保障理事会の常任理事国になりたいと世界に向かって意思表示した。国連事務総長の諮問機関が示した案により、どうやらいまの常任理事国五カ国が持つ「拒否権」のない、セカンドクラスの常任理事国が日本の目指すゴールになりそうだ。ゴルフに例えれば名門ゴルフ場の正会員ではなく、平日会員といったところだろうか。 中国は二〇〇五年を「ファシストとの戦争勝利六十年」と位置づけている。抗日戦争勝利六十年と名付けたいくつかの行事が予定されている。これを機会に日本の首相の靖国神社参拝問題などで「対日ナショナリズム」が燃え上がるのではないかと日本側は懸念している。日本には対中経済援助はもう終わりにすべきではないかという議論も出ており、これに対して中国側がさまざまな反発を見せるなど、日中関係はぎくしゃくしたままになっている。胡錦濤国家主席と温家宝首相が相次いで小泉純一郎首相に靖国問題で釘を刺した。

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