ヴァン・ゴッホはなぜ殺されたのか

執筆者:サリル・トリパシー2005年1月号

イスラム社会の女性への暴力を攻撃した映画が殺人と脅迫を呼び、オランダ社会にショックを与えている。[ロンドン発]世界中の目がアメリカ大統領選挙に集まっていた二〇〇四年十一月二日、オランダ人映画監督で画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの甥の孫であるテオ・ヴァン・ゴッホ(四七)は、自転車にのって仕事場に向かっていた。テオは、ユダヤ人であれイスラム教徒であれ、自分と見解が違うあらゆるものや人に意見することで有名で、当時は、外国人排斥を訴えて二〇〇二年に動物擁護過激派に暗殺されたオランダの極右政治家ピム・フォルトゥインに関する映画を製作中だった。 だがこの時、オランダを騒がせていたのは、テオがその前に製作し、テレビとインターネット上で公開された短編映画『服従(Submission)』だった。映画はイスラム社会における女性に対する暴力をテーマとした挑発的なものだった。 脚本を書いたのは、ソマリア生れのイスラム女性、アヤン・ヒルシ・アリ。映画は、女性に対する暴力を慣習化してきたイスラム社会に対する痛烈な批判だった。若いイスラム女性が静かながらもきっぱりとした口調で、イスラムの神アラーに不満をぶつける。抑制の利いた声で女性が語るおぞましい話に、見る者は衝撃を受ける。女性への暴力を奨励するとも解釈できるコーランの教えは、女性の体に書き込まれる形で紹介される。女性は終始ベールを被っているものの、透明なベールを通して体中に残る傷跡も見えるようになっている。夫、恋人、兄弟、父親――彼女をとりまく男たちの暴力によってつけられた傷跡だ。脚本が実際の出来事に基づいているだけに、言葉には重みがあり、それゆえいっそう脳裏に焼き付けられる。

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