「アベノミクスの興奮」と「東北被災地の現状」の悲しき乖離
2013年5月7日
東日本大震災が発生から3年目を迎えた今年3月11日、筆者は最大の被災地となった石巻市の門脇町にいた。津波と大火の後、今も土色の荒れ野が広がる門脇町の浄土宗西光寺。喪服の遺族たちが本堂から次の間にあふれるほど参集し(およそ500人か)、「南無阿弥陀仏」の終わりない唱和、堂内がかすむほどの線香の中で、犠牲となった家族への祈りを捧げ続けた。「1年前は人が寺に入りきらず、本堂前の庭もいっぱいになった。それぞれに三回忌の法要をする遺族が増えたから、今年はこれでも減った方です」と、追悼の法要を終えた副住職は語った。
進む人口流出
大火で焼けこげたまま残る門脇小の校舎、今なお多くの墓石が倒れた境内など、あの日を生々しく伝える風景の中にも、灯りのともる家々が目立ってきた。門脇町の山寄りの一部地域は居住地域に色分けされ、半壊で残った家屋を直して住む人が増えたためだ。そこにも二重ローンなどの問題はある。移転先を模索する避難者は宮城、岩手、福島の被災3県で約30万人に上る。時が経つごとに選択に厳しさが増す3年目を迎えた。
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