北の高麗航空もやって来る米クラーク基地「跡地」のいま
日本からフィリピンを訪れる玄関口は、首都マニラか観光地セブ島と相場が決まっているが、第三の玄関口「クラーク国際空港」をご存知であろうか。地名はアンヘルスだが、かつて米国のクラーク空軍基地があったことから、現在はクラーク特別経済区(CSEZ)と呼ばれる。マニラの北西九十キロ、車に揺られて二時間程で着く。 特区の中核機能として、クラーク国際空港がある。米軍の爆撃機が使用していた戦略基地だけに、滑走路と駐機場は広いが、新しい旅客ターミナルビルは驚くほど小さい。昼間に国際線の発着がないため、ドアは閉められて中に入ることもできない。 韓国の仁川空港から、ニッチ市場の開拓が上手なアシアナ航空が、定期便を飛ばしてくる。乗客の大半は観光客だが、韓国企業も五社進出しているため、もちろん韓国人全員が観光客というわけではない。定期便を運航するだけに、特区付近には韓国の男性ツアー客が求める条件がほぼ全て整っている。特区内には一流ホテルや高級ゴルフ場があり、特区を一歩出るとカジノ、風俗街、韓国焼肉レストランが眼に飛び込んでくる。 いまでこそ特区とその周辺は賑わいを見せているが、ゴーストタウンになりかけた時期もあった。フィリピンの反米運動がマニラで激化し、これにピナツボ火山の噴火が重なった。クラーク基地はピナツボ火山の裾野に位置していたため、火山灰で空港は閉鎖。冷戦の終焉も手伝って、米国は一九九一年にクラーク基地の運用を停止・閉鎖し、数多の地元労働者を解雇した。米軍撤退後、フィリピン政府は地元経済を立て直すために、広大なクラーク基地跡地を経済特区に指定して、手始めにフィリピン国内の企業を誘致した。これを呼び水にヨコハマタイヤなど日本企業十七社の誘致に成功して、特区経済の浮揚に漕ぎ着けた。現在、地元企業三百社、外資七十七社、外資との合弁六十五社が活動している。
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