把握されないアンダマン・ニコバル諸島の壊滅的被害状況

執筆者:ラムタヌ・マイトゥラ2005年2月号

 震源地に近いインド連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島でも、地震と津波の被害は凄まじいものだった。地震発生から二日後の十二月二十八日、アメリカ地質調査所(USGS)は、この地震によってプレートが最大で約三十メートル移動、アンダマン・ニコバル諸島は地図の書き換えが必要なほど移動したという観測結果を発表した。 アンダマン・ニコバル諸島の死者数は三千人とされるが、インド政府は五千人以上が行方不明としており、最終的な犠牲者の数はさらに大きく増える恐れがある。カー・ニコバル島にはインド空軍の基地があったが、基地は壊滅。駐留していた百人の空軍兵士と家族の大半が流されてしまったとの情報もある。 インド統合防衛軍の司令官ラーマン・プーリ副提督によると、ニコバル諸島南部のピル・メロー島はほとんど水没したため、生き残った住民はキャンベル・ベイの安全な場所に移送されたという。チョウラ島でも津波によって島の六五%が水没した模様だ。諸島南端のインディラ・ポイントに立つ高さ三メートルの灯台では、灯台職員が全員津波に流されてしまい、地震から十日すぎた時点でも海水が引いていない。 インド本土から東に約千二百キロ離れたアンダマン・ニコバル諸島には、南北約七百キロにわたって五百七十二の島が点在している。このうち人が住んでいるのは三十六島。十八世紀ごろからイギリスの流刑地として植民が始まった。第二次世界大戦中は日本の占領地だった。インド独立時には、東パキスタン(現バングラデシュ)からの難民が流入した。

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