中東ばかりか、国際情勢にも大きな影響を及ぼすイラン大統領選が三カ月後に迫った。結局、鍵をにぎるのはこの人物――。[テヘラン発]「八年間のハタミ改革は一体何だったのか。結局、改革を実現できる力がなかったのだ」 二月後半、イランの首都テヘランでパキスタンとのビジネス交流会が開かれた。二〇〇一年にアフガニスタンのタリバン政権が崩壊してから両国関係は改善され、エネルギー分野を中心に交流が盛んだ。参加していた複数のイラン人ビジネスマンに改革派への期待は皆無だった。 このような交流自体が「改革」の成果なのは確かだ。だが、「テヘランの春」から八年、ハタミ改革はすっかり色褪せてしまっている。 一九九七年、セイエド・モハンマド・ハタミ大統領(六一)を誕生させたのは、「神の国」で窒息しかかっていた若者とへジャブ(ベール)やチャドル(マント)に身を包んだ女性たちの高い改革熱だった。「市民の自由を拡大する」と改革路線を打ち出したハタミは、保守派が総力を挙げて推したナテクヌーリ候補に組織力で劣りながらも勝利する。〇一年の選挙でも勢いは続き、再選を果たした。 しかし二期目に入ると、「自由のない宗教は衰退する」と謳う改革が体制の否定につながることを恐れた保守派聖職者が巻き返しに出る。

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