その名に聞き覚えがなくても、2008年の北京五輪の聖火リレーを派手に妨害した人物と言うと、イメージを喚起される人が少なくないだろう。市民団体『国境なき記者団(RSF、本部パリ)』の創設者、初代事務局長として言論の自由を世界に訴え、独裁国家でのジャーナリスト抑圧を告発してきたロベール・メナール氏(60)である。2008年に事務局長を退任して以来、しばらく消息を聞かないと思っていたら、予想もしない方向に転身していた。右翼『国民戦線(FN)』の支援を受けつつ、南フランスの街ベジエの市長を目指して来春の統一地方選に立候補する、というのである。

 ベジエ市は人口7万あまり。多くのフランスの地方都市同様、中心部がシャッター街となり、経済の停滞とともに市民の不満が蓄積しているという。

 人権の闘士から「右翼の市長」候補へ。これは転落なのか。何か意図があってのパフォーマンスなのか。彼なりの論理に従った末に出した結論なのか。憶測が広がっている。

 

最初の夢は「神父」

 フランスの植民地だったアルジェリア・オランで1953年、欧州系入植者の家庭に生まれた。父親は印刷業に携わり、右翼の秘密組織に属していた。1962年、アルジェリアが独立。一家は、9歳の彼を伴ってフランスに引き揚げ、当初中南部アヴェロン県の村に、続いてベジエに移り住んだ。生活は貧しく、貧困層が多く住む集合住宅街で、移民らとともに暮らしていたという。

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