往来はげしい中越国境に脱北者の影を追う

執筆者:竹田いさみ2005年4月号

 ベトナムの首都ハノイから車に揺られて北東へ百五十キロ。中国との国境の町ランソンに到着する。トラックの往来が多い週日で四時間もかかった。幾重にも連なった山々が作る自然の国境が歴史を感じさせる。 早朝から荷物を満載したトラックが、中国からベトナムへ押し寄せてくる。ランソン市内にある三階建てのドンキン市場に一歩足を踏み入れると、入り口付近の特等席は携帯電話の販売コーナーだ。そこを通り抜けるとテレビ、ビデオ、ラジカセ、調理器具、おもちゃ、アパレルなど、中国製品が溢れるほど陳列されている。そういえばハノイで見かけた格安の携帯電話は、ほとんどが中国製であった。 週末になると、中国人観光客が大挙してバスで入国してくる。原則的に個人旅行客はなく、中国の旅行会社が企画したパックツアーだ。 中越国境で幹線道路が走る正式な国境検問所は五カ所ほどだが、実は非公式の越境ルートが沢山ある。昔から中国系ベトナム人は非公式ルートを使って「自由貿易」と呼ばれる密輸に従事してきた。中国がASEAN(東南アジア諸国連合)との間で合意したFTA(自由貿易協定)は、中越国境においては既存のものだというわけだ。 国境地帯を歩いている時、北朝鮮からの脱北者がベトナムに流れ込んでいるのではないかと、ふと思い浮かんだ。ベトナム北部は、人と物の移動が活発で、行き交うバスやトラックの中に脱北者が紛れていても、なんら不思議はない――そう思って、タイの首都バンコクに立ち寄ったとき、事情通のタイ人記者に尋ねた。彼は、脱北者の地下ルートとしてラオスとベトナムを挙げた。おそらく出所はタイの陸軍や治安機関で、しかもレベルの高い情報に相違ないと直感した。二〇〇四年七月から八月にかけて、四百六十八人の脱北者がベトナムから韓国へ入国した、という出来事が報道されるより以前の会話であった。

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