百年前の日露戦争当時、ロシアのスパイとして日本を舞台に活動したフランス人記者がいた。これまで光の当たらなかった日露情報戦の秘史に、ロシアの歴史学者が迫る。 日米開戦前夜、ドイツ紙記者を隠れ蓑に東京で大がかりなスパイ活動を展開した旧ソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲの存在はよく知られている。しかし、百年前の日露戦争(一九〇四年二月―〇五年九月)で、フランス紙の記者が帝政ロシアのために、日本で大胆なスパイ活動をしていた事実は知られていない。 その仏人記者は、日本の政財界や軍の上層部に「ディープスロート(情報源)」を確保し、御前会議や元老会議の討議内容を入手。日本軍の奉天攻撃など各種の機密情報をロシア側に通報していたのである。 バレ(Balais)という姓の仏紙フィガロの東京特派員の存在は、筆者が最近、モスクワのロシア帝国外交資料館で行なった調査で初めて判明した。バレの正体は謎の部分が多いが、日露戦争を通じてロシア側の最も有力なスパイだったことは間違いない。この調査により、日露戦争で空白となっていたロシアの「上海スパイ網」の活動も明らかになった。バレを中心に、もう一つの「日露戦争」に迫ってみよう。

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