這い上がる道としてのサッカー

執筆者:星野 智幸2013年9月30日

 2011年7月1日の深夜25時ごろ、私はパソコンの前に釘づけになっていた。カタールで開かれたAFCフットサルクラブ選手権の決勝、名古屋オーシャンズ対シャヒド・マンスーリFC(イラン)が、オンラインで中継されていたのだ。勝てば日本チームが初のアジアチャンピオンに輝く試合だったが、アジアのフットサル界では圧倒的な強豪であるイランのクラブの前に、名古屋オーシャンズは防戦一方、前半のうちに2点をリードされ、後半開始早々にも退場者を出すなど、非常に苦しい試合運びを強いられていた。ところがそのピンチをしのぐと、劣勢のまま執念で同点に追いつき、延長後半にはついに勝ち越しゴール。奇跡の優勝を遂げたのだった。大震災からまだ4カ月、なでしこジャパンのワールドカップ逆転優勝に先立つことおよそ2週間。モザイクのかかったような劣悪な中継映像を前に、私はTwitterを通じて同好の士たちと深い感激を分かち合った。

 

日系ペルー人の苦難

 金色に染めた短い髪 (C)時事
金色に染めた短い髪 (C)時事

 その試合で値千金の同点ゴールを決めたのが、名古屋のエース森岡薫(現在35歳)。短い髪を金色に染め、一度見れば忘れられない強い存在感を放っている。名前と顔だけでは気づかないが、彼は日系ペルー人3世だ。名古屋オーシャンズという日本初のプロチームが誕生したときの発足メンバーであり、Fリーグ(日本フットサルリーグ)で優勝と数々の個人タイトルを獲得している、日本フットサル界の中心選手である。しかし、日本代表に選ばれたのは、カズが呼ばれて話題となった昨年のワールドカップが初めてだった。長い間、日本国籍を取得できなかったためである。その波乱の経緯を森岡は、最近になって自伝『生まれ変わる力』(白夜書房)などで明らかにし始めた。

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