和を以て談合と為す

執筆者:2005年9月号

「霞が関文学」なるものが存在するという話は以前、聞いて知っていた。残念なことにその神髄に触れることはこれまでなかった。いま、「蠅」子の前にある国土交通省の出した文書は、まことに面白い。なまじのユーモア作家は洒脱さにおいて「入札談合の再発防止対策について」と題する文書を書いた役人に敵うまい。日本道路公団の副総裁逮捕まで発展した鋼鉄製橋梁工事の入札談合に関して、所管官庁である国交省が事務次官以下、身内の幹部を集めた「入札談合再発防止対策検討委員会」なるものを設置し、こまごまとした対策をまとめたのだ。 まずこの作品の非凡なところは、これほどあくどい犯罪を「不正行為」と矮小化し「従来からの取り組みに加えて、以下の対策を早急に実施することにより、入札談合の再発防止に全力で取り組む」とまず宣言していることである。まさか本気で談合がなくなると考えているとは思えないが、少なくとも談合なる不正行為は、われわれがさまざまな手を打ってきたにもかかわらず、いまだになくならないのは嘆かわしい、とまずは所管官庁としての責任をはなから否定しているのである。 内容は紹介してもばかばかしくなるだけだから省く。どうしても、という読者は国交省のホームページで。談合の本質はそのような些末なところにはない、ということを一番よく知っているのは、当事者たちなのである。「和を以て貴しと為す」。聖徳太子の十七条憲法の最初に出てくるのがこの言葉だ。「和」は横並び、集団の秩序を乱さない、みんなが平等に幸せ(甘い汁)を享受するための仕組みだ。社会主義ならぬ「会社主義」の日本では、業界のため、会社のため、所属する部課のため、と上から下へとさまざまな「和」が降りてくる。日本中がいってみれば「談合社会」なのである。

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