「また、あの男か」――南スーダン紛争の深層

執筆者:白戸圭一2013年12月25日

 自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に派遣されている南スーダンで、政府軍(キール大統領派)と反政府軍(マチャル前副大統領派)の戦闘が激しさを増している。自衛隊が同じくPKOに参加している韓国軍に弾薬を提供したこともあり、この武力衝突は、アフリカの紛争としては珍しく日本のマスメディアの一定の注目を浴びている。

 

 2011年7月にスーダンから分離独立したばかりの国で、なぜ早々に大規模な武力衝突が発生しているのか。それが、今回の事態に対する一般的な受け止め方ではないか。だが、スーダン及び南スーダンの歴史に精通している人にとっては「また、あの男か」というのが正直な気持ちかもしれない。「あの男」とは、今回の武力衝突の反乱軍の頭目であるリエック・マチャル氏(Riek Machar)=1953年生と伝えられる=のことだ。

 

 南スーダンは、スーダン政府と南部の反政府勢力の30年以上に及ぶ内戦(正確には第2次スーダン南北内戦)の末に、南部が分離独立した国家だ。スーダン南北内戦は、一般的には「北部のスーダン政府軍と南部の反政府勢力であるスーダン人民解放軍(Sudan People's Liberation Army:SPLA)の戦い」として知られている。SPLAがスーダン南部の最大の武装組織だったことは事実であり、現在の南スーダン政府も事実上はSPLAによって作られている。2011年7月の独立の時点では、キール大統領(Salva Kiir Mayardit)はSPLAのナンバー1、マチャル氏はナンバー2であった。

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