二〇〇五年十一月のプーチン・ロシア大統領訪日で、日露関係はロシアの思惑どおり経済協力重視路線へと移行した。この“成功”を受けてプーチン政権は以後、対日政策の権限を大統領府からロシア外務省に移管する方針を固めた。 理由は、領土問題解決を関係改善の「入口」ではなく「出口」にするという日露関係の大枠が固まったこと、大統領が今後内政問題で多忙を極めることなどだ。 ロシア外務省には旧ソ連時代の対日強硬論者が多数残っている一方で、政治的決定能力はない。そうした官庁が対日政策を担うことになれば、今後のプーチン政権下では北方領土問題の進展はありえないことになる。その兆候は、大統領の訪日前から出ており、日露共同声明を採択しないというロシア側の方針は露外務省がイニシアチブを取った結果だった。 プーチン大統領は朝鮮半島政策についても、北朝鮮の金正日総書記と大統領の気質が合わなかったことなどから、外務省に丸投げ。その結果、ロシアの朝鮮政策は中国を追従するものとなり、独自性も消えた。対日政策においても、これからはロシア側に官僚的な杓子定規の対応が増えそうだ(ちなみに、対中政策は引き続き大統領府が統括するという)。

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