オープンソースの不思議について改めて考えてみたい。 オープンソースという言葉が生まれ、リナックス(Linux)が台頭し始めた一九九八年から九九年にかけては、私も本欄でオープンソースの不思議についてばかり書いていた。以来オープンソースは、情報技術(IT)産業における存在感を増すばかりなのだが、その成功があまりにもめざましいために、不思議なものを不思議だと思う私たちの正常な感覚は、すっかり麻痺してしまった。 オープンソースとは、あるソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償で公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意することで、ソフトウェアを開発する方式のことである。 OS(基本ソフト)に代表される最先端大規模ソフトウェアとは、現代における最も複雑な構築物の一つである。そんなものがなぜ、企業組織というメカニズムにも、市場というメカニズムにも依存せずに作られてしまうのか。これがオープンソースの不思議である。「人は雇用関係や金銭的契約に基づく強制力によって働くもの」という経済や企業理論の前提たる常識が、オープンソースの世界では通用しない。結果として、これまで企業が有償で開発・販売していたソフトウェアが次々と無償で作られて、置き換えられている。

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