停戦十年「ボスニア・ヘルツェゴビナ」で進む民族分断

執筆者:サリル・トリパシー2006年1月号

上辺だけの平穏さを理由に国際社会は手を引こうとするが、NATO軍が撤退するような事態になれば、民族対立は再燃しかねない。[ロンドン発]十二月十四日、ボスニア・ヘルツェゴビナは、内戦を終結に導いた「デイトン合意」の正式調印十周年を迎え、各地に散っていた難民たちもすでに戻りはじめている。だが、彼らが帰郷の途上で目にしたのは、すっかり変貌した町や村だった。かつて多民族社会だった故郷は、民族ごとに分断された「単一民族」の地となっていたのだ。 象徴的な例は、激戦の地として知られるモスタルだ。町を流れるネレトヴァ川を境として、一方はムスリム(イスラム教徒)、他方はクロアチア系住民が住む地域と、はっきり二分されている。 モスタル最大の従業員数を誇るアルミメーカーであるアルミニーは、内戦以前はセルビア系、クロアチア系、ムスリムの三者を等分に雇っていた。だが、内戦中にクロアチアの民族主義者が経営権を握り、戦後もセルビア系やムスリムを採用しなかったため、現在では従業員の九五%をクロアチア系が占めている。 しかもモスタルでは、行政サービスですら、各民族の住む地域ごとに別々に分かれている。学校や図書館、さらにはゴミの収集さえも、地域ごとにサービスの主体が異なる。まさにボスニア・ヘルツェゴビナが抱える問題を端的に示す町といえる。

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