1月末、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター所属のユニットリーダーであった小保方晴子氏らがSTAP細胞という万能細胞の画期的な作製方法を英ネイチャー誌で発表した。万能細胞は神経細胞にも筋肉の細胞にも何にでも分化できるので、究極的には、イモリの脚が切れて無くなっても丸ごと脚を再生できるように、人間の医療に応用できれば画期的な治療法になると言われている。
 小保方氏らは、マウスの体細胞を酸に晒して刺激を与えることで簡単に万能細胞を作り出せるといい、世界中が彼女の大発見を称賛した。我が国の安倍晋三首相も、さっそくこの朗報に飛びつき、彼女の功績を称賛し、アベノミクス第3の矢である成長戦略に絡めて、大きな予算をこの分野に投入することを約束した。


 しかし、その後、世界中の研究者が論文の様々なおかしな点を指摘しはじめた。また、幹細胞の研究を行っている世界中の研究所で再現実験が試みられたが全て失敗した。こうしてSTAP細胞の捏造疑惑が一気に巻き起こった。その後、理研の内部調査などで、現在までに少なくともいくつかの捏造が確認され、理研は論文の撤回を勧告するに至った。
 安倍首相が国会のテレビ中継で大いに称賛したそのほぼ2カ月後には、理研の理事長である我が国のノーベル賞受賞者の野依良治氏が記者会見で深々と頭を下げ、いまは国会に呼び出されて議員に毎日責められている、という状況だ。共同研究者でさえ見抜けなかった小保方氏の捏造は、インターネットに集まった有名、無名の無数の国内外の研究者によって瞬く間に暴かれてしまったのだ。

 4月9日には、小保方氏が事件後はじめて記者会見をした。午後1時からの記者会見は、他の番組を取り止めて、主要局全てで中継された。
 ただ涙を流しながら、「STAP細胞はできたんです。信じて下さい」と訴え、「捏造ではありません」と連呼した。しかし、具体的な証拠となると、「ノートは機密研究なので見せられない」「再現実験に成功した第三者の名前は明かせない」「具体的なレシピは将来の研究で明らかにする」などと言って巧妙に逃げてしまった。捏造疑惑はますます深まるばかりだ。

 さて、奇妙なことだが、今回の一連の捏造疑惑が発覚する最初の突破口になった小保方氏の実験に使われた技術と、本連載でたびたび紹介している離婚と結婚に関連するバイオテクノロジーは一致している。それはDNA鑑定である。
 小保方氏は、マウスのT細胞のDNA鑑定で、確かにSTAP細胞は1度分化した大人の細胞が、受精卵のような未分化の多能性幹細胞に戻ったと証明しようとしたのだが、そこで意図的に切り貼りをしてデータを捏造してしまった。これは理研の調査委員会からも改ざんに当たる研究不正だと認定されたのだが、小保方氏は4人の弁護士を立てて徹底抗戦するようである。もはやSTAP細胞の検証は、実験室ではなく、弁護士同士が法廷で行うことになりそうだ。
 その他にも捏造が疑われている実験データが多数あるのだが、最初に内外の研究者が彼女の論文のおかしさに気がついたのがこのマウスのDNA解析の実験だ。少々、テクニカルな話題になってしまうので、詳細を知りたい方は、筆者のブログの方を参照されたい(いまさら人に聞けない小保方晴子のSTAP細胞Nature論文と捏造問題の詳細 その1 TCR再構成と電気泳動実験(2014年3月22日))。

 じつは、国内外の研究者が小保方氏の捏造を見破ったマウスの遺伝子解析と、妻の浮気を見破る現代の親子DNA鑑定は、全く同じ技術が使われているのだ。

 微小なDNAサンプルから、PCR(Polymerase Chain Reaction)法という技術を使って、遺伝子の特定部位を数10億倍に増幅できる。犯罪捜査では髪の毛1本でもDNA鑑定ができるのだが、それはこのPCR法のおかげなのだ。
 そして、このように増幅されたDNAの特定部位は、人によって異なるものになっている。この情報を使って、犯罪捜査ならその証拠が確かに犯人と思わしき人物のDNAと一致するということを証明する。親子鑑定では、人間には46本の染色体があるのだが、23本は父親から、残りの23本は母親から来ているので、やはり特定のDNA領域を増幅してその情報を調べることにより、親子かどうかが確認できる。
 DNAというのは鎖状の高分子なのだが、PCRで増幅され、その後に特殊な酵素でDNAを切断すると、元々あった遺伝情報から、特徴的な長さのDNA片に分解される。こうしたDNA片のそれぞれの長さを電気泳動実験で読み取ることにより元々のDNA情報の特徴を抽出するのである。
 電気泳動実験というのは、電気を帯びた大きな分子のサンプルをいくつか用意して別々のレーンに入れ、電圧をかけたゲル状のプールで、よーいドンで走らせて、どれぐらい移動するかを調べる実験である。DNAのような電気を帯びている鎖状の分子で電気泳動実験をすると、短いDNAほどゲルの中を速く泳ぎ、遠くまで進む。この原理を利用して、DNAの長さを調べるのだ。
 小保方氏はここでひとつのレーンを、別のレーンのものに入れ替え、それが発端となって一連の捏造データが次々と明らかになっていった。

 現代では、国内外の多数の業者がこうした原理に基づき、親子DNA鑑定のサービスを提供している。料金は、最安値で2万円を切っており、数万円が相場になっている。
 親子関係がないことを証明するのは、サンプル採集や実験などが全て正常に行われれば、原理的には100%の精度で可能であり、親子であることを証明するのは、やはり原理的には99.99%以上の精度で可能である。なぜ100%にならないかというと、他人でも偶然親子と同じようなDNA配列になる可能性があるからだ。

 標準的なサンプル採集は、綿棒で被験者の口の中をこするだけだ。これで細胞の小片がくっつきDNAが得られる。この綿棒を被験者1と被験者2で、当然だが混ざらないように気をつけて、添付のビニール袋に別々に入れて業者に送り返すだけだ。それで1週間から数週間後には結果が見られる。
 髪の毛や爪など、標準的でないサンプルの場合には、さらに料金が高くなり、鑑定に要する日数も長くなる。
 本人の承諾を得ずに行われたDNA鑑定に法的な証拠能力があるのかどうかは、議論が分かれるところだが、少なくとも、子供が確かに自分の子供であるということを知るのは、現代ではこのようにネット通販で簡単にできるのだ。

 しかし、今後、もっと価格が下がり、実用的になることが望まれているのは、出生前のDNA鑑定技術だろう。こちらは様々な方法があるが、ひとつは母親の血液中に漂うわずかな胎児の細胞片から行う方法である。一般にも利用しやすい価格帯になりつつある。羊水を利用するものは、胎児にも負担がかかるため、母親の血液から検査できるほうが理想的である。
 こうした出生前DNA親子鑑定は、安くとも20万円‐30万円程度の費用が必要なようだ。当然だが、母親の血液が必要になるため、出生後のものと違い、母親の同意を得ずにDNA鑑定をこっそりするというのは不可能である。

 奇しくも、小保方氏の「不正」はDNA鑑定の実験で明らかになった。妻の浮気もDNA鑑定で明らかになるかもしれないが、世の中には知らない方が幸せなことはいくらでもあり、こうしたサービスを利用するかどうかは読者の判断に任せよう。
 本連載の第19話「DNA親子鑑定」に見る「科学」と「法律」のタイムラグで見たように、妻の不貞とその結果産まれてきた子供が自分の生物学的な子供ではないと発覚したとして、それで離婚できるか、養育義務から逃れられるかはまた別の話なのである。
 それは小保方氏の捏造が、同じ分野の研究者から見れば明らかなことであっても、いざ法廷闘争になると、裁判官の前でそれを証明するには1年、2年とかかり、税金で運営される理研が彼女の給料を払い続けなければいけないことと同様である。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。