政治家や専門家が繰り返す「賛否を問う、あるいはケーススタディ」のための集団的自衛権容認に関わる議論には焦点が見えない。国の武力行使は、国の安全保障にとって重大な「覚悟」であって、「理念や信念」にも言及されなくてはならない。当然、「国の防衛・安全保障戦略における軍事力行使の位置付け」が変わるはずだが、議論の俎上には無い。また武力衝突のエスカレーションや犠牲の発生など「集団的自衛権容認がもたらす軍事的現象」の整理は行われていない。

 しかも集団的自衛権の容認は、国際社会において必然ではあるが「今急ぎ決心しなければならない理由は何か」「戦争との距離を縮めることで国の安全保障が損なわれないか」などの議論を尽くし、「国民の理解やコンセンサスを得なければならない」重大事である。

 

 アメリカには、「北大西洋条約機構(NATO)加盟国の集団安全保障体制の中で、いずれの国が攻撃されても共に戦う集団的自衛権発動の義務を負った」議論の歴史がある。この議論は、他国の安全保障に責任を有する態度を明確にし、「アメリカの孤立主義からの大転換」を導いた。日本の場合も「攻撃された国との共同戦闘に到る集団的自衛権行使の容認」が、「自国の安全保障の担保に到る」ことをアメリカの歴史から学べるであろう。

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