「忘れられた野菜」の復活

執筆者:大野ゆり子2006年6月号

 父は生前、芋を好まなかった。どうやら、戦時中に飽き飽きするほど食べた「芋粥」のせいらしい。実際のところは、箸でどんなにかきまわしても、あたる具は無く、お腹にたまる芋が入っていれば上出来な方だったというが、だからといって、芋に感謝の念がわくはずもない。戦後、いくらでも他のものが食べられる時代が来ると、芋はあえて食卓で見たいと思う対象ではなくなった。知人のご主人も、同じような理由でスイートポテトが嫌いだという。どんなに奥さんが腕によりをかけた甘いお菓子でも、こればかりは、口にすると、ひもじい時代を思い出して苦い顔にならざるを得ないそうだ。 食をめぐるトラウマは、海を越えたこちらでも同じことだったらしい。戦争時代を思いだすといって、忌み嫌われ、食卓から消え、長いこと忘れられてしまった食材の代表にトピナンブールという芋がある。十七世紀にサミュエル・ドゥ・シャンプランというフランス人探検家が、アメリカのネイティブ・インディアンが栽培していた芋を食べてみたところ、「アルティチョーク(生食できる朝鮮アザミ)の味がする!」と祖国に持ち帰ったのがきっかけで、フランス、ベルギー、ドイツ南部などを中心に栽培されるようになった。

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