中国権力闘争の“標的”となった二人の大物

執筆者:藤田洋毅2006年7月号

江沢民とその一派を完全に守勢に立たせた胡錦濤は、江のかつての懐刀・曾慶紅と結び、ついに連邦制への第一歩を踏み出した。「一日も早くマルクスに会いに行くべきです。本人のためはもちろん、なによりわが党のために」――六月五日、四カ月半ぶりに公式活動に参加した黄菊筆頭副首相(政治局常務委員)の姿を伝える中央テレビ局のニュースを横目に、中国共産党中央の中堅幹部は冷たく言い放った。江沢民前総書記の最側近として序列六位へ上り詰めながら、一時は危篤説も流れた黄の復活だ。最高指導部内の力関係にいかなる影響を与えるのかと問うと、幹部は「流れは変わらない。胡錦濤総書記は、来秋に予定する第十七回党大会に向けますます自信を深めている」と明言した。 黄菊が姿を消す前に最後に顔を見せたのは一月十五日の全国交通工作会議。三月の全国人民代表大会(全人代)・全国政治協商会議(政協)の際には、当局側も「入院中」と発表していた。この党中堅幹部や国務院幹部の情報を総合すると、膵臓癌を患い一月十五日夜、北京・五カ松の人民解放軍総医院(三〇一医院)に緊急入院、省部軍級以上の高官専用病棟「新楼」にいたようだ。 中堅幹部は「昨年八月に政治局員ら在北京の指導者が三〇一医院で健康診断を受けた際には、なんら不具合はなかった。突然の発病です」とし、「周さんの件で悩み過ぎて、自ら病を呼びこんだのではないかと中南海では囁かれている」と続けた。

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